最新更新日:2019/03/29 | |
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素直な心とひたむきさ〜野球部〜春季大会始まる〜ラグビー部〜
4月29日には春季大会開会式が行われるが、開会式を待たず,いくつかの競技の大会が始まった。16日(土)には、ラグビーの試合がおこなわれた。今年度は部員も少なく、合同チームとしての参加だ。相手はスクール選抜。残念ながら初戦は負けてしまったが、30日の第2戦に向けて、気持を新たにしていた。
1日の始まりは朝読書から1年部活動見学
今週は1年生は部活動見学期間になっています。1年の活動は来週18日からになります。どんどん入部し、先輩と一緒に汗を流そう。
素直な心でひたむきに〜部活動再開4〜
ラグビーは現在、合同チームで参加してます。部員を増やし何とか単独チームとして参加したいと頑張っています。
素直な心でひたむきに〜部活動再開3〜
穏やかな春の日差しの中、春の大会にむけて頑張っています。
1.向島地域のはじまり
本校が校区とする向島地域は京都市の南、伏見区の最南に位置しています。
この地域はもともと京都の南に広がる巨椋池の北端に位置し、平安時代より淀川を遡る船が京の都に行き交う旅人や荷を送る交通の要所でもありました。また、豊臣秀吉が伏見桃山城を築城した折りに城の守りもかねて造った太閤堤(ほぼ旧24号線のあたり)が伏見の町に入る入口にもなり、徳川時代にわたってこの向島に出城が築かれています。その名残が本丸町・二の丸町などの地名です。 このような地域ですから、古くは水運、漁業などがこの地域の産業の中心でした。しかし明治以後、巨椋池の干拓事業により、広大な巨椋池がしっかりと区画整理された確かな用水網を備えた優良な農地、広大な水田地帯となり産業の中心は農業へと移ります。 この向島地域が次に変化するのは、戦後の京都市の住宅建設都市計画で京の南のベッドタウンとして向島ニュータウンを建設することによってです。校歌の一節にあるように碧空をつく白亜の街が田園地帯に造られてゆきます。そして本校の開校となるのです。 2.向島中学校開校
1979(S54)年度
4/1 京都市立桃陵中学校分校建設委員会設立 7/19 校名を「京都市立向島中学校」に決定 12/18 校章決定 育友会員・松味利郎氏・精華大助教授作 1980(S55)年度 4/1 初代校長に小林昭氏46名の職員と共に着任 4/4 開校式(27学級1110名で開校) 4/9 第1回入学式 10/1 校歌制定 月渓宏作詞・櫛田鉄之扶作曲 3.生徒と教職員の学校づくり
1981(S56)年度
4/1 養護育成学級設置(1学級6名) 5/1 創立記念日設定、第1回創立記念日 1982(S57)年度 4/9 プレハブ校舎1棟増設 1983(S58)年度 4/1 向島東分校設置 2/24 本校生徒会と校区4小学校児童会との交流会を開催 4.日中交流
1984(S59)年度
10/31 中華人民共和国西安市より教育視察団来校 9月に本校と向島東中学校が日中友好交流校に指定されたことをうけて交流が始まる。 1985(S60)年度 6/29 生徒総会で「3い追放キャンペーン特別決議」採択 3いとは「いじめ」「いたずら」「いやがらせ」を合わせてつけられたもので、この取り組みは、生徒会活動の中心的な活動として10年以上続いた。 10/2 中華人民共和国西安市より教育視察団来校 1988(S63)年度 7月下旬 西安市第30中学校訪問(高谷校長・水野教諭) 1989(H1)年度 11/20 中華人民共和国西安市より教育視察団来校 その後中国との交流はH5まで続く。 その間「兵馬俑」の寄贈などうけ、現在もその高さ2m程の古代中国の武人の立像は向島中学校の宝物として大切に保管されている。 |
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