京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/05/24
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「忘れてはいけない」
 1995(平成7)年1月17日,午前5時46分。兵庫県南部を震源地としたマグニチュード7.3の大規模地震が発生しました。6.434人もの人が犠牲になり,後に「阪神淡路大震災」と名付けられた大災害です。あの日から今日で26年が経ちました。 今年度は,新型コロナウイルスの感染拡大が一向に収束の気配をみせない中,様々な行事が中止あるいは縮小されているようですが,この日のことを忘れてはいけません。
 『もう26年も経ったのか』正直な感想です。本校にも,まだ生まれていなかった先生がいます。金曜日(15日)には避難訓練を行いましたが,その日は職員室でも自然と当時の話になりました。会話に参加していた者は既に教師として働いていましたが,当時の勤務校は皆バラバラです。しかし,その時に感じたり生徒に対して話したりしたことは共通していました。ほんとうに興味深い話ですね。
 去年の避難訓練の際も話しましたが,当時は上の息子が2歳,下の息子は妻のお腹の中に居ました。大きな揺れを感じて飛び起き,妻と子どもたちが寝ている隣の部屋へ行くと,妻は四つん這いになって上の息子を守っていました。まだ20代後半で6歳下の妻を始めて“頼もしい”,“逞しい”と感じた出来事でした。その時,教頭先生の奥様はもっと若く,初めてのお子さんを出産されたばかりだったそうですが,同じようにされていたと聞きました。こういう緊急事態にはそのようにするのだとマタニティー教室で教わっていたのでしょうか。いえ,きっと母親の我が子を守ろうとする本能なのではないかと思います。
 緊急事態宣言が発出されたことで,避難訓練そのものを中止,或いは延期しようかという意見もありました。しかし,コロナウイルスによる感染が起こっていようと,そんなこととは関りなく地震をはじめとした災害は起こりえます。だから決行することにいたしました。その考えに反対する教職員は一人もいませんでした。また,訓練の様子を第3者の方に観て頂き,ご意見をもらう必要があると思って消防署の方には一人に限定して来てもらうことにしました。講評では,期せずして先に書いた通りのコメントを頂きました。「コロナウイルスの感染が収束せず大変な時ですが,だからと言って地震が起こらないということはありません。皆さんが真剣に訓練に参加をしている様子を観て感心すると共に安心いたしました。」
 地震の後に広がる火災,倒れた阪神高速道路,次第に明らかになっていく神戸市をはじめとする街の惨状,初めて知った液状化現象,TV画面の右上でドンドン増え続ける犠牲者の人数…,せめてこの日には思い出し,学校や家庭で子どもたちに伝えていかなければなりません。滋賀県から左京区に至る「花折断層」は,いずれ近いうちに動くと予想されています。その地震の規模はM7.5,上京区の震度は7になるだろうとも言われています。その時に,阪神淡路大震災の教訓を活かすためにもです。

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