最新更新日:2024/09/17 | |
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『“てんぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top〜
「忘れてはいけない」
13日(水)の6時間目、大地震が起こったことを想定して避難訓練を行いました。消防署の方と地域の消防団の方にも来ていただき評価をしてもらいました。全体としてはまずまずの出来だったと思いますが、幾つかは気になる部分がありました。それについて、生徒に対しては訓練の最後に、そして教職員に対しては翌朝の職員朝礼で話をしました。 若い頃から避難訓練に真剣に取り組んできたかと問われれば、恥ずかしながら否。でも今、学校の責任者である校長として、この意義の重大性を強く感じています。 やはり、神戸と東日本の2つの大きな震災を体験したからだと思っています。 一昨日は雪が降るような寒いグランドでだったので長い話を避けました。そこで、この紙面で少々詳しく伝えたいと思います。是非、読み進めてほしいです。 22年前のあの日。普段から眠りの深い私が大きな揺れを感じて飛び起きました。今でこそ雨音ででも起きることがありますが、当時はまだ34歳。一旦眠れば少々叩かれても起きないような状況だった私がです。妻子が寝ている隣の部屋へ急行します。当時2歳半だった上の息子は、何も知らずスヤスヤと眠ったままです。その息子の上にお腹の中に下の子を身籠っていた妻が四つん這いで覆いかぶさっています。結婚して3年足らず。当時妻は27歳。人間的には色々と頼りなさを感じていましたが、この時ばかりは彼女の中の逞しさと、母性のすごさ、素晴らしさを感じたものです。 学校へ着いた頃、被災地の様子がTVから伝えられてきました。目を覆うばかりのシーンが次々と映し出されます。高速道路が横倒しになり、途中でちぎれてバスが落ちかけていました。神戸の街が瓦礫の山になっています。初めて「液状化現象」というものも知りました。場面が変わると、火災の広がっている様子が映し出されます。燃えさかる炎に包まれて倒壊した家屋の下敷きになっている人たちがいるのかと想像すると、地獄絵図を見ている思いがしました。それでも、京都市の学校では普通に授業ができました。授業が終わると、教職員がTV画面の周囲に集まりました。画面の端に死者の数や行方不明者の数が出され、刻々とその数が増えていきます。『もう増えないでくれ!』そう思ったものです。何日もTVではこの地震のことが報道されました。自衛隊や消防、警察官による救助の様子が増えていきます。担架で運ばれるのは『おそらく遺体だろう』と、当たり前のように思うようになっていきました。 教師として、この経験を通じて学んだことを当時はまだ生まれていなかった今の子ども達に伝えなければならないと思っています。決して“過去のこと”にしてしまってはいけないのです。またこの機会に、家でも神戸や東日本の震災について話をしてほしいと願っています。そして考えてほしいです。普段からどんな備えができるか。どういう心掛けで居なければならないのか。 |
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