【校長室から】応援されるということ
- 公開日
- 2026/07/14
- 更新日
- 2026/07/14
校長室から
夏、いつもとは少し違う時間が流れる。次の試合があるのか。それとも、これが最後になるのか。引退の懸かった試合。太陽が丘のスタンドには、クラスメイトや卒業生、保護者の方々が詰めかけていた。グラウンドに立つ選手たちの名前が呼ばれ、拍手が起こり、声援が飛ぶ。吹奏楽部の心のこもった演奏の音源が流された。手拍子が起こる。一つのプレーに歓声が上がり、一つのミスに、今度は励ます声が重なる。応援する者と・される者。声を張り上げているクラスメイトも、かつて同じユニフォームを着ていた卒業生も、祈るようにグラウンドを見つめる保護者も、それぞれに選手たちから何かを受け取っている。応援とは、一方から他方へ向けて送られるだけのものではないのかもしれない。
土曜日、体育館に立ち寄る。バレーボール部が、レシーブの練習をしていた。ボールが打ち込まれる。床すれすれで拾う。「ナイス」「もう一本」「切り替えよう」短い言葉が、ボールとともにコートを行き交う。首尾よくいったときだけではない。ボールを落としたときにも、誰かが声を掛ける。顧問の教員からは、技術的な指示とともに、次の一本へ向かわせる激励が飛ぶ。体育館の反対側では、バスケットボール部が練習をしていた。顧問の教員が生徒たちの中に入り、一緒にプレーをしながら指導している。生徒同士の声があり、教師と生徒の掛け合いがある。コートの外から全体を見ているもう一人の顧問から、動きのズレを捉えた的確な指摘が入る。そして、最後には必ず、励ます言葉が添えられる。声を出す。声を受け取る。そして、また動き出す。高校生の活動には、応援がある。これほど誰かに励まされ、声を掛けられ、見守られながら何かに取り組む時間が、その後の人生に、いったいどれほどあるのだろう。
かつて競技者としてスポーツに取り組んでいた頃には、仲間や指導者から多くの叱咤激励を受けた。試合中に見知らぬ人から名前を呼ばれることがあった。「いける」と声を掛けられることがあった。自分ではもう一歩も進めないと思ったとき、その声によって、もう一歩だけ前へ出ることができた。しかし、大人になり社会に出ると、大きな声援を送られる場面などまずなくなる。仕事をしていても、スタンドから声援を受けることなどない。何かを成し遂げても、体育館いっぱいに拍手が響くこともない。それでも、仕事は一人では進まない。誰かに教えられ、誰かを助ける。誰かの小さな変化に気づき、声を掛ける。言葉に出さなくても、そっと支える。目立たないところで準備をし、誰かの仕事がうまくいくように手を差し伸べてくれる人がいる。声高に叫ばずとも、あるいは、あえて言葉にしなくとも、互いに教え合い、助け合い、励まし合う中で、仕事は進んでいく。関係性の質が高い集団には、たとえ無言であっても、相互に励まし合う空気がある。自分はここにいてよい。失敗しても、次がある。困ったときには、誰かが手を差し伸べてくれる。そう思える集団では、人は思い切って動くことができる。力を出すことができる。そして、結果として、集団全体のパフォーマンスも上がっていく。
一言で表現すると、堀川高校の生徒は優しい。もちろん、ただ穏やかであるという意味ではない。互いの中にある何らかの「よさ」を感じ取り、その部分に敬意を払うことができる、という意味である。自分とは異なる考え方。自分にはない力。自分とは違う歩み方。それらを否定せず、相手の存在を認める。互いにリスペクトし合う関係の中では、人は少しずつ、応援する側にも、応援される側にもなっていく。
今週末、本校では学校説明会を開催する。2000名を超える中学生と保護者の皆様にご来校いただく予定である。その日に向けて、今、生徒たちが準備を進めている。用意された台本をなぞるだけではない。どうすれば日常を伝えられるのか。どうすれば中学生の不安を少し軽くできるのか。どうすれば、ここで学ぶ自分たちの姿を、自分たちの言葉で届けられるのか。一つひとつ考えながら、生徒たちはハンドメイドの説明会をつくり上げている。これから受検に向かう中学生の皆さんへ。新しい場所へ踏み出そうとしている皆さんへ。大丈夫。自分なりの一歩を踏み出してほしい。その挑戦を、私たちは応援している。そんなエールを送る場でもあるのだと思う。
ただ、応援には、もう一つの側面がある。誰かを応援しようとするとき、私たちは同時に、自らのあり方を問われる。この人から応援されたい。この人たちと一緒に歩みたい。この学校なら、自分の挑戦を託してみたい。そう思ってもらえる存在であるかどうか。グラウンドで声援を受ける選手たちは、その日まで、誰にも見えないところで練習を積み重ねてきた。体育館で励まし合う生徒たちは、日頃から仲間の努力を見ているからこそ、本気で声を掛けることができる。応援は、突然生まれるものではない。その人が何に向き合ってきたか。どのように人と関わってきたか。苦しいときに、どのような態度を取ってきたか。そうした日々の積み重ねの先に、「この人を応援したい」という気持ちが生まれる。
応援する存在であること。そして、応援される存在であること。その二つは、きっと別々のことではない。誰かにエールを送ろうとする姿そのものが、いつか誰かの心を動かすだろう。太陽が丘のスタンドから聞こえた声も、土曜日の体育館を行き交っていた声も、最後には、私たち自身へ向けられた問いとして返ってくる。私たちは・あなたは、誰を応援しているのか。そして、私たちは、誰かが応援したくなるような生き方ができているだろうか。
今週の土曜日、堀川高校でお待ちしています。
船越 康平