学校日記

開校式 謝辞

公開日
2023/04/11
更新日
2023/04/11

校長室ウェブログ


 本日ここに、門川大作京都市長様、田中明秀京都市会議長様、吉田孝雄京都市会副議長様をはじめ、多くの御来賓の皆様の御臨席を賜り、開校式を挙行できましたことに、深く感謝申し上げます。
 これまで本校の開校に向けて御尽力いただきました、同窓会、PTAをはじめとする学校関係者の皆様、また御支援・御協力をいただいた地域や教育関係の方々に対しまして、改めて御礼を申し上げます。
 また、京都市、京都市会関係の皆様におかれましては、極めて厳しい財政状況の中を、かくも美しく機能的で充実した校舎の建築とともに、学習環境の整備に特段の御配慮を賜り、深く感謝申し上げます。

 本校は、明治13年、日本初の公立美術学校「京都府画学校」として産声をあげ、京都御苑内に誕生いたしました。当時の設立嘆願書には、「京都の文化・産業界の活性化、強いては日本の国力の向上を目指してのことである」と書かれています。その後、移転、改称などの変遷を経て、戦後の昭和24年に学制改編に伴い、京都市立日吉ケ丘高校美術課程となり、そこで約30年間普通科と併設した形で美術教育がなされていました。そして昭和55年、同窓会の悲願でもあった銅駝美術工芸高等学校として、独立開校がなされ、43年間を経て、本年4月1日、この地に「京都市立美術工芸高等学校」として校名も新たに、移転・開校を迎えることができました。

 本校には、開校以来9,000名近い卒業生がおり、日本の伝統工芸界をはじめ、美術分野、産業界で牽引役となり活躍されています。我々美工は、京都のみならず、日本の文化・美術の発展を支えてきたという自負のもと、未来社会においても、美術をとおして社会で活躍する青年の育成をめざしていく所存です。これからも美工は「感じる心」「考える力」「表現する力」を鍛錬し、生涯にわたって学び続け、探究し続けることができる力を育みます。そのためにも徹底した未来志向で、世界に向けて発信できる力をつける学校作りに努めてまいります。

 ここ美工には、絵を描くことが好き、ものづくりが好きな生徒が入学し、日々創作に「没頭」し、切磋琢磨して成長しております。こうした好きな物事に「没頭」しながら学ぶという教育の本質ともいうべき、素晴らしい教育を礎とし、これまでの常識や既成概念に捉われず、自由な発想で物事を考え、答えのない問いに試行錯誤しながらチャレンジし、新しい景色をつくり出していくような行動力ある青年を育成します。また、多様な他者と協働する機会を多く設定し、互いに高めることができ、新たな価値観を生み出す創造の庭となるような学校を目指します。そして生徒は新しい教育活動のもと身につけた力で、社会の中で自ら課題を見つけ、国際社会で大いに活躍するであろうと確信しております。世界に通じる才能を美工から輩出することを願ってやみません。

 本年10月には京都市立芸術大学が移転するこの機に、芸大生や教授との接点を増え、生徒たちの意識はこれまで以上に高まるでしょう。芸大生や留学生の方との交流により、自身のアートという概念を広げ、グローバルな視点を持てることを期待しております。それは自らのキャリアについて具体的に考察できる機会となり、新しい美工の強みとなります。
 
 新しい校舎の真ん中には、崇仁小学校から引き継ぐ、長年地域の方に大切にされてきた大銀杏の木が、美工の開校を祝福してくれているかのように、新芽の緑を輝かせてくれています。そして、その手前には、美工が日吉ケ丘時代から学校のシンボルとして大切にしてきたロダン作の像が、引き続き、生徒達を見守ってくれています。この新しいシンボルとなる中庭を中心に、生徒たちが創作活動をし、そこに地域の方が足を運んでいただき、笑顔になっていただく。美術を通して生徒と地域の方々が心を通わせ、まち全体を、彩り豊かにしていきたいと思います。

 以上に述べました美工の新しい未来を確実に実現して参りますために、生徒たちが心置きなく様々な活動ができる環境を、校長をはじめ教職員一同、情熱を持って生徒一人一人に寄り添い、最後まで責任を持って支援していく覚悟であります。

 結に当たり、この美術工芸高等学校は、明治当初の設立趣旨を再確認し、京都をはじめ日本・世界を創造力で元気にする青年を輩出していきます。そしてまた、生徒や保護者の皆さん、地域の皆様方、さらには、京都市にとって誇りとなる高等学校にして参りますことをお誓い申し上げ、感謝の言葉といたします。

 令和5年4月10日
                     校長 名和野新吾