学校日記

京都市立工業学校 校舎の増設と池の消失

公開日
2015/10/02
更新日
2015/10/02

洛陽メモリアル

 京都市立工業学校に大正13年(1924年)、建築科が新設されこれまでの染織学校から名実ともに「工業学校」の実体を持つようになりました。新設学科が設けられたことにより、烏丸の本校は校舎と実習室の増築が急がれましたが、さしあたっては運動場を取りつぶして進められました。このときの工事で教職員や生徒に親しまれてきた「先心池」は埋められてしまいました。洗心池は、「色染科分析室の東と体操場との間が清潔に欠くことから検討の結果、池を掘って浮島を作り、橋をかけ木を植えて庭園とし、池には金魚や鯉を放ち、開園時には職員全員が集まって茶話会を開き投票を行い、池の名称を洗心池とした」とあり憩いの場だった様子が記録されています。
(洛陽工高百年史より引用)