ヒロシマ・ナガサキから学ぶこと・・・
- 公開日
- 2012/08/06
- 更新日
- 2012/08/06
学校の様子
本日8月6日は,今から67年前に原子爆弾がヒロシマに投下された日です。そして本日の午前8時から広島市は,原爆死没者への追悼とともに核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を願って「平和記念式典」を行いました。その中で,広島市長が「平和宣言」を世界に向けて発表しました。宣言文の中には,被爆された方々からの「語り」が盛り込まれていました。
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『1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。 ・・・(略)・・・
「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」(当時20歳の女性が見た街)
「辺り一面は、無数の屍が重なり、声にならない呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め,うつろな顔の母親など、正に生き地獄だった。」(当時13歳の少年の体験)
「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌で亡くなりました。」(当時16歳の少女)』
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原爆は人々から人間として最も大切にしているものを奪いました。親を,子を,きょうだいを,愛する人たちを・・・,自分の最も大切な人を奪われた人の悲しみは一体どのようなものだったのでしょうか?家庭や,生活,また人生までも奪われ破壊された人たちの苦痛のほどはどうだったのでしょうか?この間に新聞やテレビ等で特集が組まれています。この機会にお家の方と,戦争や平和について一緒に考えてみてはどうでしょうか?
戦争や被爆の体験をされた方々も高齢になっておられます。被爆された方々の平均年齢は78歳を超えたということでした。文字通り命懸けで,今その思いを語り継いでいただいています。
また,「平和宣言」は,東日本大震災の原発事故により,今も苦しい生活を強いられている方々にもこう呼びかけています。
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『前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。』
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「平和宣言」のあと,広島市の小学校6年生の2人が「平和の誓い」を世界に向けて発表しました。感動的な内容でしたので,最後の一文を紹介します。
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・・・(略)・・・
『つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、わたしたちは、想像することによって、共感することができます。
悲しい過去を変えることはできないけれど、わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。
平和はわたしたちでつくるものです。身近なところに、できることがあります。違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。わたしたちは、平和をつくり続けます。仲間とともに、行動していくことを誓います。』
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「今,私たちに出来ること」そして「これからしていかなければならないこと」を,この「平和の誓い」のことばから教えたもらえた気がしました。