—悲しみを抱いて—東日本大震災から1年…
- 公開日
- 2012/03/13
- 更新日
- 2012/03/13
学校の様子
3月11日(日),東日本大震災から1年がたったこの日,各地で追悼式が行われました。あらためて津波の被害の大きさと,多くの大切な命を失った悲しみに,心が張り裂ける思いがしました。
追悼式に参列した宮城県遺族代表の奥田江利子さんの「ことば」を紹介します。本当に辛く悲しい思いをしながらも,「涙を超えて強くなる」「しっかりと前を向いて生きていく」と言い切っています。その力強い姿に,あらためて「生きることの意味」について,私たちも考えていかねばと思いました。
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孫の成長 生きる希望
東日本大震災では大勢の人が亡くなりました。そして、いとおしい人を思い続けるたくさんの人が残されました。
私は津波で甚大な被害を受けた、宮城県石巻市北上町に2人の子供と両親とで住んでいました。
震災の1週間前、23歳だった長男、智史(さとし)の結婚式でした。息子夫婦が入籍の日に選んだのは3月11日でした。2人はわが子の誕生を楽しみに、人生で一番幸せな時を迎えていました。私たち家族も、その将来に向けてささやかな幸福を感じておりました。震災の日も、いつもと変わらない朝を迎えて、変わらず明日が来る、来ないなんて思いもしませんでした。
地震の後、息子は家族の身を案じ、妹と祖父母が身を寄せていた近くの指定避難所に車で向かったそうです。津波が海から数メートルの避難所を襲い、たくさんの尊い命をもぎ取り奪っていきました。窓からは、迫り来る波が見えただろうに、「どんなに恐ろしい思いをしたか」。それを思うと胸が締め付けられます。ただただ、かわいそうでかわいそうで、いたたまれません。
次の日、避難所から100メートルの自宅のあった場所近くで息子は見つかりました。一緒にいたはずの娘は家族の一番最後、1カ月後にやっと見つかりました。妹をその腕の中で守っていたかのように手を組んで水たまりに横たわっていました。「おかあ、俺なりに頑張った」。そう言っているようで、「おまえ頑張ったな。偉いぞ。みんなと一緒にいてやったんだよね」。何度もそう話しかけました。
冷たくなった夫にすがって泣き続ける嫁。こんな残酷な思いをさせてしまって本当に申し訳なくて済まなくて、残されたこの子らがふびんでなりません。身重の妻を残して逝った息子の気持ちを思うと、どんなに無念だったか、この母が代わらせてもらいたかったです。
見渡す限りの惨状に地獄はここだと思いました。
私の大切な家族。強くて厳しかったけれども心の温かだった母。一家を辛抱強く支えてくれた父。年の離れた妹を心底かわいがり父親代わりをしてくれた息子。心優しく、その笑顔がわが家の明かりだった娘。14年ぶりに授かった娘は家族の宝物であり私の生きがいでした。受け止めがたい現実、やり場のない怒りと悲しみ、そして限りのない絶望。最愛の人を失ったというのに自分が生きているという悲しみ。「生きることがつらい」。そう思う申し訳ない気持ち。生きていることが何なのか、生きていくことが何なのかを考えることさえできない日々が続きました。
愛する人たちを思う気持ちがある限り私たちの悲しみが消えることはないでしょう。遺族はその悲しみを一生抱いて生きていくしかありません。だから、もっと強くなるしかありません。涙を越えて強くなるしかありません。今、私はこう思うようにしています。「子供たちが望む母でいよう」「これでいいだろうか」「こんなときに両親はなんと言うだろう」。そう思うことで亡くした家族と、「一緒に暮らしている」。そう感じていたいからです。
絶望の中にさす光もありました。息子は私たちに生きる意味を残しました。忘れ形見の初孫が7月に生まれ、元気に育っています。その孫の成長が生きる希望へとつながっています。
最後に被災地の私たちを支えてくださった多くの皆さん、日本全国、世界各国の皆さまに心から感謝を申しあげます。皆さまからの温かな支援が私たちに気力と希望を与えてくださいました。だから今日までこうして過ごしてこられました。その恩に報いるには、私たち一人一人がしっかりと前を向いて生きていくことだと、そう思っています。さしのべてもらったその手を笑顔で握り返せるように乗り越えていきます。
本当にありがとうございます。