「憲法月間」の5月をひかえて。
- 公開日
- 2010/04/30
- 更新日
- 2010/04/30
校長室から
現在の日本国憲法が施行されたのは昭和22年5月3日でした。この憲法施行を記念して5月を憲法月間としているのはご存知の通りです。この日本国憲法には「自由」「平和」「個人の尊重」「国民主権」の精神が謳われています。これらの精神を謳う必要があったということは、日本国憲法でそれらの事柄を制定する必要があったことを意味します。すなわち第二次世界大戦という大きな悲劇を招いてしまったという反省です。日本国憲法の前には「大日本国憲法」が制定されていました。この憲法は当時アジアでは近代憲法として大変評価されていましたが、その憲法の下で第二次政界大戦を起こしたということから現在の日本国憲法が連合軍の下で策定されたということは、ご存じのとおりです。この憲法月間に因んで今日、校長講話をしました。講話の主旨は日本国憲法の前文にある「自由」と「平和」と「基本的人権の尊重」「国民主権」の中の「自由」と「個人の尊重」にふれ、「自由」と「個人の尊重」を日常の中でどのように捉え、生かしていったら良いのか、というものです。
話の中身は、はじめに自由や個人の尊重は無制限にあるものではなく、一定の制限の枠の中にあり、その中でどのようにその効力を発揮していったらよいのかについて話しました。一定の制限の枠というのは言うまでもなく,「公に反しない限りにおいて」です。その事を社会性、協調性という表現を使いました。社会性や協調性の欠落が昨今メディア等で話題に上がることも多くなっています。その事もあってこの憲法月間で自由には枠があることを敢えて述べました。
もう一つ自由について話をしました。自由は水と同じで日常ではそのありがたさを感じることが自由社会ではあまりありません。水不足で水のありがたさをあらためて認識するように、自由が奪われて初めて自由への回帰を求めるのだろうと思いますが、そんな事態になっては大変です。講話では人を束縛する身分制と自由を比較対照しながら、自らの将来を決定するのは自身に委ねられているという自由社会のありがたさの一面を述べました。自由が前提になっている社会では、そのことを意識する機会が少ないように思います。社会が自由だからこそ自分を伸ばし切ることが可能であるという事をあらためて捉えなおし、自身の学習や生活を振り返ってもらおうと考え話をした次第です。憲法月間である5月を明日に控え、ご家庭におかれましてもお子たちとお話をしていただけたらと思います。