形にすること
- 公開日
- 2013/10/17
- 更新日
- 2013/10/17
校長室から
今週は京都市では3年生第2回目の学習確認プログラムが実施される週である。高校への入学試験が迫りつつある中で教育関係者にとってナーバスな時期に入り、学力という言葉を耳にしたり、口にしたりする機会が多くなる。その「学力」の中身は何をさしているのだろう。新学習指導要領で述べられた、あるいは大学入試改革における教育再生実行会議等でまとめられた中に「思考・判断・表現」という言葉がある。これは「感心・意欲・態度」にある物事、事象への「感心」が「意欲」に繋がりさらに「意欲」という心の状態が「態度」へと行動化に向かう順序を表しているように、「思考・判断・表現」もある物事や事象について様々に思考したことを取捨選択の「判断」を経て整理し他者へ伝わるように直列的あるいは並列的に組み立て「表現」するという順序を表している。「関心・意欲・態度」は態度により価値がおかれるように、「思考・判断・表現」は「表現」により価値が置かれると考えるべきなのではないかと思う。その「表現」とは「形にすること」。つまり「思考」したことを形にすることである。社会ではそのことが大事なのではないだろうか。企業体では受けたミッションを企画書という形にしてプレゼンをする。モノづくりでは、頭にあるイメージを下書きなどの形を通して実際のモノ(形)にする。文学でも頭に描いたストーリーを文字で順序立てて小説や随筆、論説等という形にする。科学は仮説を立て、実験を通して論証という形で表す。スポーツでも同じであろう。「思考」したことを身体で「表現」する。つまりどれも最後は「思考」したものを形にした「表現」で終結するのである。そう考えれば学力とは何かの問いは、学んだ事を何らの形にすることであると言える。形は人によって違う。その違いは、「思考」する上でその人のもつ経験や体験、知識の量からくるのであろう。現在の学力問題は、高校までの授業や大学での講義で学んだことを形にする能力が問われているのではないか。大学では地域社会への参画を大きな目標にしている。それは大学で学んだことを地域社会で具体的な形にして役立てることを目標にしているのであろう。一方で現在取り組んでいる学習確認プログラムもこれまでの授業で学んだことを数値という形で表れるものであり、それは定期テストも同じである。ただ数値は学習の目指す帰着点ではない。授業等で学んだことを身の回りに具体的な形で表すことが帰着すべき処である。中学から高校、高校から大学等へと学びを進める毎に、学んだことを具体的な形で表すモノや内容に深まりが出て、役立てるエリヤが広がっていくこと。それが今問われている学力の方向なのだろうと思う。小中一貫、中高接続、高大接続はその学力を目指す流れにあるのではないかと思う。