「ヒトの人たる所以」=人権週間(月間)を前にして=
- 公開日
- 2009/12/01
- 更新日
- 2009/12/01
校長室から
<以下の文は「校長室だより」から抜粋したものです>
12月4日から10日までを人権週間としています。その週間を含む12月を人権月間ともしています。この人権週間は1948年12月10日の第3回国際連合総会において第2次世界大戦で多くの人命を失ったことからその反省にたち、平和と自由を基盤にした世界人権宣言を採択し世界の国々で記念行事をすることを受けたものです。第2次世界大戦で死亡者数は諸説あって正確な数字を把握することは難解と思いますが5000万人とも6000万人とも言われています。私たちにとって唯一の命を余りにも簡単に、軽薄に扱ってしまうのが戦争です。そこで人間のあるべき行為について全校集会で以下の主旨を「ヒトの人たる所以(ゆえん)」というテーマで話をしました。もう一度、書き言葉で要約します。
「ヒト」とは人間を生物学で表したものです。人間は哺乳動物でもあって地球上では人間以外の動物と「生物」という括りで考えれば同じです。動物には、本能があって自らの命を守ろうとします。命を脅かすものには、生死を賭けて対決します。また命を守るために群れをつくります。例えばライオンや猿は群れの中では、統率をとるためにボスを決めます。それは明らかな力関係で決まります。力が無くなれば群れから追い出されるのが通常です。それは新しいボスが誕生を示します。動物の世界では、先ほど言ったように本能で命を守ろうします。本能は学習の結果、身についたものではありません。経験から学習する意識的なものではないのです。
一方、人間も動物(生物)ですが他の動物とは異なる点があります。それは言葉を使うという点です。言葉とは「読む、聞く」「書く、話す」に使われる道具です。これは人類の進歩の中で学習した結果、身につけたものです。ですからこれは本能ではなく、意識であるということです。この点が「ヒトの人たる所以」であると考えてよいと思います。他の動物で、言葉を使って読んだり、を聞いたり、話したり、書いたりすることは見られません。しかし人間にはすでに獲得した言葉があります。
さて、その言葉を私たちは使いきっているでしょうか。言葉できちんと相手に自分の思いを伝えきれているでしょうか。嫌なことや腹の立つ事があると手や足を出して相手を傷つけてはいなでしょうか。それは動物と同程度の行為です。腹が立っていればそのことを相手に伝える集団は手足だけではないはずです。人間としてのアピールがあるはずです。腹が立って手足を出す、このことを国際レベルで置き換えれば国と国の戦争です。また、社会に置き換えれば、傷害事件です。もう中学生ですから、君たちが暴力をふるって人を傷つけることがあれば、法律で罰せられて家に帰れなくなる場合も出てきます。人の社会では暴力から人は法で守られています。人権の根本は人を傷つけないことです。一方で言葉も人を傷つけることがあります。本来、言葉は人を繫ぐ道具です。人が信じあう道具です。「信」という言葉は「人」と「言」からできています。「ヒトの人たる所以」である言葉を正しく使うことが人間としてのあるべき行為です。そこで、自分自身の言動を振り返ってほしいと思います。言葉足らずで手を出した、人を傷つけたことないですか?後になって「しまった」と思って謝罪をしたことはないですか。そうなる前に自分を律して言葉を使い尽くしましょう。
言葉で人を繫ぐことが人権を考える根本です。言葉が途切れ、人と人を閉ざす閉鎖社会が生まれると、そこには差別や人権問題が発生します。先ずは自らを言葉で表し理解してもらえるかを試してみましょう。言葉は現実を切る癖があるので、自らの全てを言い表すことは不可能です。しかし自分以外の人には自身のことを理解してもらわねばなりません。そこが難しいところです。難しいからといって諦めていけません。これが人に理解してもらい関係性を築き上げる努力というもので、人権問題解消の第一歩なのです。