学校日記

『東山を西に見て』〜Make legend〜

公開日
2013/08/23
更新日
2013/08/23

校長室から

「人権教育考」
 昨日、校内で人権教育についての研修会をもちました。若手からベテランと呼べる教職員の様々な意見を聴き、よい研修になったと自画自賛しています。また先日は、徳島県から人権教育に造詣の深い森口健司先生をお迎えして彼の生き様に触れ、8日には「中学校人権教育研究集会」を主催しました。今年はこれまで以上に人権教育について考える機会が増えました。そして、終了後には毎回充実感と満足感と得ることができています。
 このペーパー1枚では到底書ききれないとは思いますが、この機会に、学校で人権教育を進めることについて、これまで考えてきたことを綴っておきたいと思います。
 昨年度の大津市の事件以来、「いじめ」についての話題がなくなりません。「いじめ」の撲滅に取り組むことはもちろん大切ですが、それより先にもっと人権教育に力を入れるべきだと思えてなりません。違う言い方をすれば、学校教育の根幹に人権教育を据えて取り組み、それを上手く機能させることで「いじめ」の起こらない集団をつくるということです。「いじめ」は、子どもたちの人間関係がいびつになったり、互いが認められなくなったり尊重されなくなった状況から生まれます。これは、人権教育の目指す方向と正反対の結果であることを認識しなければいけないでしょう。
 ところで、人権教育とはいったい何でしょう。仮に、目の前に授業についていけない生徒がいたとして、教師である以上、その子を放っておくことはできません。何とかしようと取り組むのがあるべき姿です。このことが人権教育の基本だと考えればよいでしょう。教育を受けること自体が、人権が保障されるという考え方です。
 さて将来、教え子の中に差別されて苦しむ人を出したくはありません。もちろん、教え子が、平気で差別するような人になるなどはもってのほかです。だから、社会にある差別事象にしっかりと目を向けさせ、正しい判断の出来る生徒を育てなければなりません。
「知らなければ差別しようもないから、わざわざ教えなくてもよいのでは…」
そんな意見も少なからずあります。確かに、差別に出会わず生涯を送る人はたくさんいるでしょう。しかし、出会う場合、「障害があるから…」「外国籍だから…」「あの地域の出身だから…」これに続くのは、圧倒的にマイナスのことばが多いと思います。だからこそ、きちっと教えることは、様々な立場にある子どもたちの集う公立中学校に勤務する教職員の使命だと思うのですが、それは言い過ぎでしょうか。
 「差別の壁は、そのことについて考える人が多くなればなるほど低くなる。」
 かつて保護者の方から聞いた言葉です。差別の問題をどこかにある誰かの問題として捉えるのではなく、生徒が自分に関わりのある問題だと思えるように取り組みたいものです。
 冬休みまでの4カ月、大変多くの行事が計画されています。これらの機会に、花山中の生徒たちが互いを認め合い、豊かな関係性をもって繋がっていってほしいと願っています。