学校日記

『東山を西に見て』〜Make legend〜

公開日
2013/05/16
更新日
2013/05/16

校長室から

「叱り方」
 一週間前、朝の挨拶で校門に立つとき、日向を探していました。日蔭では寒くてじっとしているのも辛かったからです。ところがここ数日の暑さといったらどうなっているのでしょうか。最近の日本は春と秋が極端に短くなってしまいました。京都市の「2期制」と同じく「2季制」になったという冗談もよく耳にするところです。
 さて、若い教師や教師を目指す若者が苦手とすること、あるいは不安に思っていることの中に「保護者対応」と「叱ること」があります。前者は、誠実に対応するという大原則をもって経験を積むことで上手になってはいきます。しかし、後者はそう簡単に上達しません。その人の性格にもよるところも大きいからです。子どもを上手に叱れるようになることが、教師としての成長のバロメーターであるといっても過言ではないと思います。
 どんな指導もそのベースは信頼関係です。それがあれば、そんなに難しくはない生徒指導や教科指導も、それが損なわれていると、とことん上手くいきません。信頼関係がないということは、聞く耳をもたれないこととほぼ同義だからです。
 信頼関係を築く場面はたくさんありますが、今回は「叱る」場面でこそそれが築けることを伝えたいです。家庭における躾も、「叱る」こと抜きに考えることはできません。躾は叱るという行動を伴うことがほとんどです。褒めることが上手であることと同様に、上手く叱れれば、上手く躾けることができるものです。
 さて、叱るときには、語彙、迫力、語気、表情や感情など、その全てを使うことになりますが、要するに、子どもの心に届く叱り方ができるかどうかです。どれだけ美しい言葉を連ねようと、またどんなに大きな声を張り上げようと、心に届かなければ子どもは納得をしません。逆に、納得させられれば、子どもはその教師に大いなる信頼を寄せるものです。「あの先生はこわい」と子どもは言います。「こわい」という言葉には「おそれ」の念がありますが、それにも二通りあります。「恐れ」と「畏れ」です。後者には畏怖の念、つまり尊敬に近い気持ちが含まれます。こういう先生に心の中を見透かされていると感じたり、思いを言い当てられたりすることで、生徒の中の「こわさ」は「信頼」に変化するのだと思います。
 本校では、近年問題行動が激減して生徒を叱る場面も随分少なくなりました。しかし、その場面がないことはありません。昨年度末から何度か、保護者の方にも来校してもらって生徒を叱らなければならない場面がありました。指導の様子を見、報告を聞くにつけ、やはり上手に叱る先生への信頼度は高まっていきました。
 心に届く叱り方のコツは…、強いて言うならば「本気さ」ではないでしょうか。「このことは決して許せない。断じて見過ごすことはできない。」という本気さこそが、指導を子どもの心に届けます。指導を受けた際、その言葉や内容を忘れることはあっても、その時の先生や親の表情や思いを忘れることは決してありません。
 教師や親が本気で叱ることは、子どもの魂を揺さぶり、心に響き、届きます。そして、そのことで確固たる信頼を得ます。「叱り方」−いつまでも教師や親の研究材料です。