知ること
- 公開日
- 2013/10/09
- 更新日
- 2013/10/09
校長室から
今日の1・2時間めは,全学年で人権学習を行った。障がいのある人への理解を深めるということで,この聴覚障がい,視覚障がい,肢体不自由のある人の理解を,3年間のサイクルで行っている。
今回は,京都視聴覚障害者協会から講師の方をお呼びし,手話学習会「みみずく」の方に手話通訳をしてもらっての学習となった。前半は,講師の方の経験談を,後半は,手話教室のようなものであった。
電車の乗り継ぎでの話,満員のバスでの話,掃除機の話,ワラビ取りの話など,耳が不自由なことから起こる様々な体験を語られた。私たちからすればなんでもないことだが,こんなことも起るのだという新たな視点での話であった。後半の手話教室は,挨拶や感情表現の表し方を勉強し,講師との方との会話でも,積極的に前に出て,お互いのやり取りを行っていた。部活動の名称なども多く教えていただいた。また,質問でも,鋭い質問もあり,面白かったのは,関西と関東とでは,表し方の違いもあり,手話にも方言のようなものがあるのだということが分かったことだ。最近は,タクシーを乗って行き先を告げるのに,ケータイのメールで示すということを言われて,なるほどと感心もした。
生徒たちがその後のまとめで何を書いているかはまだ見ていないが,聴覚障がいの方は話さなければ,なんらわからないけれども,着実に私たちの周りにもおられるということがわかったということだ。着実にということは,その心を持って生活をするということだ。そのことを知るのと知らないのとでは大きな違いである。こうした学習を積むことは,知らないことを知るということにつながる,無知なことが一番問題なのであって,知ろうとしないことが問題なのだ。知らない中からは理解は生まれない。つまり,知らないという自覚から,知ること,理解することが始まるのである。一番厄介なのは,知っているつもりであり,分かっているつもりである。何事もまずは,その排除から始めなければ,真に知るということには至らないように思う。