学校日記

間接的に

公開日
2013/09/24
更新日
2013/09/24

校長室から

 先週の金曜日に文化祭も終わり,いよいよ後半が始まる。3年生はそれぞれの進路に向けて,2年生は学校のけん引役として,1年生は本格的に落ち着いて学校生活を進める段階に入ることとなる。それぞれのやらなければならないことを心して進めて欲しい。
 さて,その金曜日は十六夜(いざよい)であったが,月のきれいな季節になってきた。ちょうど文化祭の1日めは,仲秋名月であった。秋の3か月間のちょうど真ん中に当たるので,仲秋という。十五夜,満月,望月,三五の月等々いろいろな名前がある。それだけ日本人の中でも月を愛でることが好きなのだと思う。写真の新聞記事にも,「輝く満月夜空に池に」とあるが,この池が大切なのである。間接的に愛でることが日本的な月の見方である。何も月だけではないが,間接的にということがポイントである。
 芭蕉の有名な句に「名月や池をめぐりて夜もすがら」がある。簡単に言えば,中秋の明月を見ながら池の周りを歩いていたら,いつの間にか夜が明けてしまったということである。これは,名月を直接見ているのではない。池に映る月を見ながら月も移動するので,池に映る月も移動する中で,それを見ながら時の経つのを忘れてしまうのである。波紋にゆれたり,水辺の草むらに隠れてしまったりと,いろいろな場面が想像できる。天空の月では,そんなことはなく,雲がかかるかどうかはあるが,変わらぬ月ではこの句は生まれない。日本人の持つ,その間接的にものごとを見る素晴らしさなのである。
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』などを読んでみると,西洋の明るさに対して陰翳を認める日本的なものの見方に通じるものである。障子を通して光を弱めて見るものや蝋燭の明かりの中でのもの,雪明りなど,日本的なものの見方がどんどん失われていく現代において,芭蕉の句は,日本の心を思い出させてくれるのである。ゆったりと月を愛でることなどしていられないという現代生活においてこそ,そんな時間を求めることで,違ったものの見方や考え方を発見させてくれるように思う。伝統文化教育という言葉がよく聞くが,こうした日本的なものの見方や考え方を知ることこそ,伝統文化教育の一歩だと思う。その精神の一端を,こうした古典文学や,現代文学で触れることで,まずは心の中の芽生えを喚起して欲しい。