伝える
- 公開日
- 2013/07/24
- 更新日
- 2013/07/24
校長室から
教育実習生から,お礼の手紙が届いていた。メールばかりでやりとりしている中で,きっちりと封書でのお礼を受け取り,なにかみずみずしさを感じている。手紙やはがきを送る習慣が少なくなり,生徒自体もなかなか書く機会がない中,こうした折に,きっちりとお礼の手紙を送ってくることは,教職をめざす大学生としては,大切なことである。
拝啓から始まり,敬具で閉める形式だが,全国学力・学習状況調査にも出されている。国語科として指導をしているかということだろう。下書きをし,清書を行い,途中で失敗すれば,新たに書きなおすことは,大変苦労がいることであるが,苦労がいるからこそ,どうして自分の思いを使えようかと必死で頭を抱え込むのである。簡単にメールで次から次へとのやりとりとは違う。時間を経て直筆を受け取った喜びを感じた時,相手への深い思いに変わるものだと思っている。
学校でいえば,一つは2年生のチャレンジ体験のお礼に書かせる機会がある。また,修学旅行などの民泊先にも書かせるチャンスはある。こうしたいろいろ言葉を駆使して,自分の思いを伝えることは,相手を思う気持ちにも発展していく。受取は先ほど言った喜びと深い思いに変わるものだが。こうして書いたり,受け取ったりしての思いを体験させることも,メールやLINEでのトラブルを考えさせるきっかけになるようにも思う。見えない相手に思いを馳せることほど,相手を思いやることはない。情報端末の怖さを違った面から指導することも大事だと思う。
ラブレターなどという言葉は,もう死語になってしまったかもしれないが,私の年代では,まだまだ大切な思いを伝える大切な手段であった。そんな手紙が本に挟まれて出てくると,ふと当時のことを思い出す。そんな長きに渡っての思いを持続させる不思議な力がある。江戸から明治に変わる頃は,まだまだ手紙のやり取りが中心で,坂本龍馬などが登場する木屋町辺りには,倒幕の多くの同志がいたが,すぐ近くいるのに,手紙のやり取りで情報交換をしていた。こうした手紙のやり取りで,直接話をする習慣などなかったこともわかる。
文章を書くということはしんどいことである。しかし,書くことを通して,本当の意味で,人と人との関わりを感じることのツールであるということを,どこかで生徒たちにも伝えなければならないと思う。