学校日記

今一度

公開日
2013/07/17
更新日
2013/07/17

校長室から

 名古屋のいじめ自殺が大きく取り上げられている。いじめを巡る言葉というか,発言が大きく取り上げられている。我々自身が,「死ね」「うざい」「きもい」「殺すぞ」などという言葉にどれだけ敏感であるかということを今一度,振り返ることが必要である。そういった言葉が聞かれたら,一人一人がその場で必ず一言声を出すなど,学校も保護者も地域も皆が一致しなければならない。敏感であることこそ,我々が共通の土俵としなければならない。
 いじめはいじめられた者がいじめを受けたと認識すればいじめが存在したことになる。そのいじめには犯罪的いじめと悪戯的いじめがある。犯罪的いじめに対しては毅然とした態度で臨むことが必要であるし,悪戯的いじめに対しては,学年づくりや学級づくりなど,温かみのある雰囲気づくりが必要である。
 ところで,私はいつも読書の推進をお願いしているが,それは想像力を働かせることにつながるからだ。それとともに知らない世界を教えてくれるし,そして,何よりもいろいろな事柄に対して,多様な見方や考え方,思いを示してくれるからだ。それは道徳の指導の中でも,友だちどうしの多様な意見交換を通して,自分の内面を育てていくことも,そうしたことにつながっていく。また,以前いた岡崎中学校では,生徒会がいじめ嫌がらせに対して,数年に渡り,ビデオ制作を行っていた。いわゆるロールプレイングである。いじめる側,いじめられる側を演じることで,その気持ちを経験するのである。相手の立場に立たせる取組により,内面の育成につながっていたように思う。
 そして,保護者の方には,自分のいじめなどの経験や思いを共感的に子どもたちに示していただくことも必要なことだと思う。そして,学校と保護者がどんな些細なことも情報を共有しているのだということを示すことも大切なことだと思う。とにかく手を結んで子どもたちを見守る必要性がある。
 そして何よりも,学校でも人権に関して,いろいろな取組を日々行っているが,その指標として,「怒り」と「理性」を挙げなければならない。不正義に対しての人としての怒りを我々自身が持ち,子どもたちにもその視点での思いを持たせられているだろうか。さらに,その怒りに対して,それを押させるためにも,また,その怒りを増幅させるためにも理性が必要だということ,そのことが人権にどれだけ真摯に取り組んでいるか証であると考えられなければならない。