授業
- 公開日
- 2013/06/20
- 更新日
- 2013/06/20
校長室から
今日,2時間目と3時間目に実習生の英語と数学の授業を見た。何に着目して授業を見るかは,いろいろあろうが、私は板書がしっかりと出来ているかを見る視点としている。これは,教材研究の賜物であるからだ。どこで,どのように書き表すかは大切な視点である。他にも,文字の書き順などもしっかりと見ている。国語科の先生はもちろんのこと,やはり書き順を間違うなどということは,教師としての信用に関わるものである。参観日に,保護者の前でそのようなことにでもなれば,大丈夫かなと思われる。声の大きさ,はっきりとした発問であるか,等々いろいろと出てくるだろう。
ところで,授業を組み立てる一番は,生徒の実態である。その実態こそがしっかりと見取れているならば,あとはすんなりと進むだろう。それだけ,生徒の実態分析は難しいのである。というより,常にその実態分析を行い,それに資する資料取りをしようとしているかである。それが,いわゆる教師の仕事である。医者が診察した結果を書くカルテと同じとまではいわないが,そのようなものをきっちりと日々に準備しているかである。定期テストでも,採点し終わったあとの分析をしているかである。それなしで,点数だけを付けただけで返却していないだろうか。宝の山をみすみす見逃していいないだろうかということである。その実態ゆえに,誰を見ながら授業を進めるかが決まってくるのである。
さて,実際の教材研究は,発問とその解であるが,発問も自分が言うように書くのである。漠然とこんなことを尋ねるではダメである。問いを練るということが大切で,なぜなら,その問いに付いて,生徒から質問を受けたり,補足をしなければならないことであれば,問いがこなれていないということだからである。こなれるとは「熟れる」と書くが,問い自体が熟していないということなのだ。と同時に,その問いに対する解,それも間違いの解を一杯書き出すことである。いろいろな生徒のつまずきを書きだすことが大切なのである。その時,先ほどの生徒の実態,そこで間違いそうな生徒が想定されるということになるからである。
言うは易し,行うは難しというのが授業である。生徒の分かったという笑顔を求めて,先生方も、実習生も授業を進めてもらえればと思う。