学校日記

時間

公開日
2013/06/17
更新日
2013/06/17

校長室から

 「一年をかけて自分の選んだ木を五感を通して観察し、気づいたことをスケッチや言葉でまとめます」と,この取組の中に書かれている。京都市の理科研究会が中心となった取組で,ちょうど理科室の前にその掲示があった。
 さて,世の中が便利になり,時間短縮が何にも増して素晴らしいことのように受け取られがちであるが,はたしてそうなのだろうか。私の好きな木の取組から思うことは,生き物の時間には,それ相当の時間が必要だということを知ることだと思っている。いろいろなことが時間短縮で進んでいくが,生き物の成長には時間短縮はない。存分に日光を浴び,水を吸収し,ゆったりとした時間が必要なのだ。
 こうして木の生育には,急ぎようもない時間が必要だということは,必要なものには必要な時間がいるということであり,そうしたものも高速化の現代においてもどうしようもないものなのである。これは人の成長も同じであろうと思う。ゆったりと流れる時間の中で育っていくものを,促成栽培のように集中して育てると,心の成長に影響を落とすに違いないと思う。
 私の好きな木は1年だが,それではあまりにも惜しい。なぜなら,1年でその成長など目に見える違いはないからだ。なんなら自分木を植えてもいい。自分の植えた木とともに歩む時,自分の成長も木の成長という自然の中での流れの中で進むからである。子どもは促成栽培はできない。ゆったりとした流れの中で,時間がかかるものであることを再確認しなければ,ついつい子どもの成長までもを,速さに託してしまうからである。それは便利さに慣れ,そこに重点を置くことで,速いことこそが重要になり,速いことそれ自身に価値観が置かれるからである。
 生き物の成長,とりわけ人間の成長は,心の成長を伴わなければならない。その成長のために,時間が必要で,時間が大切なのです。そのことを私の好きな木という取組を拡大していくことで,見えてくることもあるように思う。私たちの主食のコメも短縮して収穫できることはありません。工業製品ではありません。新幹線とは違ったローカル線にゆられて行く旅には,きっと点と点だけを結ぶ新幹線とは違ったものが見えるはずだ。ゆったりとした木の育つ時間を見つめる,こうした取組が広がっていけばと願っている。