授業の背景
- 公開日
- 2010/02/16
- 更新日
- 2010/02/16
校長室から
先週の金曜日,12日であるが,本校で5年目国語科教員の授業研が行われた。ちょうど,わたしは出張と重なり,それに参加できなかったことが残念であった。
本校の5年目の国語科教員は大変よくやっている。教科指導を活かして終学活の取組を行うなど,なかなかのアイデアマンであると同時にその粘り強さには感心する。今回は投げ込み教材で,韻文指導を行った。子どもをうまく動かし,活動のある授業であったと聞いている。そう言ってしまえば,身も蓋も無いようだが,本人曰く,前半,焦点化生徒は沈黙していたが,後半俄然頑張り出し,みんなを引っ張るような発言をしたと言っていた。おそらく彼の場合,教科指導とともに,担任,並びに諸々の取組における普段の指導の賜物であったろうと思う。子ども心に,そういう気持ちにさせるものなのである。そのために,普段から子どもにどう接しているかである。そのことを抜きに,指導はあり得ない。すべてがつながっているのである。怒ることも必要であろう。厳しい指導も必要であろう。しかし,普段にしっかりと子どもの人権を意識した取組を行わずして,怒っても,厳しい指導をしても空回りするだけである。そのことに気づいていない教師は多くいる。事が起きた時,口をつぐむ生徒は多いだろう。何も話してくれないと嘆く教師は,それだけの関係であるということを自覚しなければならない。口をつぐんでも,その子どもとしっかりと向き合っている教師には,ゆっくりでも,心を開けていくものである。心豊かな教師を目指さなければならない。すべては,教師次第なのである。そのことが分からない教師は,教師失格である。
そのことも踏まえて,来年の文部科学省の発表「学級経営に根ざした道徳指導の在り方」がある。