学校日記

ロマンチシズム

公開日
2010/01/15
更新日
2010/01/15

校長室から

 今年もこの時期がやってきた。17日の阪神・淡路大震災である。どの新聞を見ても,特集が組まれている。15年前の5時46分であった。わたしはこの学校に来る直前であった。本当に激しい揺れを感じたが,ボーとするしかどうしようもなかった自分を思い出す。しかし,妻は飛び起き,子どもの方へ向ったのを覚えている。この規模の地震が12日,ハイチでも起き,10万人を超える人が亡くなっているとも伝えられている。
 このときのニュースを今も覚えているが,大阪や岡山の震度は言われるが,神戸だけ何も言わなかったことだ。その時,神戸辺りが大変なんだろうなと想像したことを,今も覚えている。こういう風に想像したのは,いわゆるロマンチシズムである。リアリズムなら,大阪マグニチュード○,岡山マグニチュード△,神戸はまだ入っていません,と伝えられると,その事実だけを受け止めるが,ちょっと想像を働かせると,神戸はどうなんだということになるだろう。それがロマンチシズム教育の必要性なのである。リアリズム教育では,その事実だけなのである。司馬遼太郎は,客観的な事実資料を集め,それらを並べながら小説を書いていく。徹底的な資料集めのため,彼が資料を集め出すと,日本全国のそれに関しての古書店の資料がなくなるとまでいわれるくらい,収集したのである。しかし,その資料と資料との間を埋めるのは,ロマンチシズムということになるだろう。だから,歴史というものは存在しないというのが彼の考え方,つまり,○○の歴史というように,○○には,それを研究し,書いた人の名前が入り,歴史は自分のような小説家や詩人がつくるものだと言っていた。
 リアリズム教育も必要だが,いつもいうように,想像力を養う教育,ロマンシチズム教育はもっと必要である。それが,人の痛みも分かる教育などにもつながっていくのだ。そのためにも,読書生活も必要なのだ。