鏡
- 公開日
- 2009/11/18
- 更新日
- 2009/11/18
校長室から
昨日,無窮の日のことを書いたが,午後から無窮講座というものを開いている。これは,地元の人に来ていただいたり,また,伺わせてもらったりして,いろいろなことを教えていただくという内容である。例えば,お菓子作り,魚のさばき方,着物の着付けやゴルフなど19講座を開催した。生徒たちのために,本当にありがとうございました。また,係りの先生方には,講座の交渉から生徒の希望調査,振り分けまで,大変苦労をかけている。
生徒たちも大変楽しみにしているものである。わたしも校内での講師の先生方との挨拶を終えた後,外での講座のところを回った。多くのところで,概ね好意的に受け止めてもらっているが,わたしが最も関心を寄せているのは,しっかりと挨拶や返事ができるだろうかということだ。これは,生活の基礎・基本に対する,我々の日頃の取組の外部評価のようなものだからである。おはよう,こんにちは,ありがとう等の言葉は,付き合いの基本であり,そして,こうした言葉が自然とでることが大切なのである。それも元気よく。参観された方から,挨拶が弱いというご指摘も受けた。元気に挨拶をしていたものもいるだろう。一部の生徒かもしれない。いろいろな見方があるだろう。しかし,それは,やはり我々の普段の取組の鏡であると考えなければならない。どれだけ高邁なことを言っても,挨拶もできないのにと言われれば,それまでだ。たとえ一部の生徒がそうであったとしても。いわゆる挨拶は,生きていく上での基礎・基本である。基礎・基本は皆が習得しなければならない事柄である。その点を我々教職員が共通認識しなければならない。よく躾などは家庭教育だなどという人がいる。もちろん家庭教育であると思う。でも,現実の生徒を見たとき,ほっておくことが,その生徒にとってプラスになるだろうか。すべては未来ある子どものためである。
教育を考えるとき,その時,その時に必要なことを適切に示し,指導していくことが大切である。例えば,よく忘れ物をする生徒がいたとすると,全体に話した後,再度個別に言わせて,注意を喚起したり,あとから,個別に呼んで再度尋ねたりすることである。1回言って分かる生徒,2回言って理解できる生徒,3回言わなければならないなら,3回言うこと。これがいわゆる生徒観に則した指導というものである。