無知の知
- 公開日
- 2009/10/28
- 更新日
- 2009/10/28
校長室から
昨日,ハンセン病問題の話であったが,そのとき,こうした問題を考えていく上で,最も大切なことは,事実を知るということであると述べた。このことを考えたとき,「無知の知」ということが頭を過った。
「『真の知』(真の理解)というのは,自分の『無知』を自覚することから始まる」といったのは,古代ギリシャの哲学者,ソクラテスである。つまり,「無知の知」である。
「知らない」ということに対する無自覚が,「知ること」「理解すること」をいかに妨げているかということである。もっと簡単にいうと,「知っているつもり」「分かっているつもり」ということである。
「知っているつもり」「分かっているつもり」からは,知ろうとする,分かろうとする意識は生まれず,知るための,分かるための行動には至らない。
「知らない自分」「足りない自分」を自覚することは,大変つらい。なぜなら,自分の否定につながるからである。時によっては,今までの自分の心の拠りどころとして,安住してきた自らの虚像を打ち壊すことも必要になってくる。だが,自らの向上のためには,そのことも我慢しなければならい。
「知らない自分」「足りない自分」を見つめることが最初である。それは,「知っているつもり」「分かっているつもり」の排除から始めることである。そして,自分が「できること」「できないこと」を整理することである。「知らないこと」を「知り」,「分からないこと」を「分かる」ことが学習である。「できないこと」を「できるようにする」ことが勉強である。すると,自分に何が必要かが見えてくる。
このことは学習だけではない。友だち関係にも当てはまる。「知らない」中から「理解すること」は,生まれない。つまり,「知らないという自覚」から,「知ること」「理解すること」が始まるのである。だから,友だちのいろいろなことを「知ること」から始めよう。ものごとはすべて,「無知の知」から始まるように思える。