学校日記

公開日
2009/10/15
更新日
2009/10/15

校長室から

 今,2年生の国語では,『平家物語』をやっている。『平家物語』をはじめ,軍記物語では,「北」を「逃げる」と読ませている。中国の『荀子』では,「北」という文字についての注には,「北は,背き敗るるの名なり。ゆえに敗走をもって北となす」と記されている。北は敗北を意味する語として,人々の間には考えられていた。
 わたしの住んでいる一乗寺から宝ヶ池の高架橋を超え,花園橋を右に折れると,八瀬・大原に続く。市内から見ると,この方面は北にあたる。
 八瀬には,かま風呂がある。壬申の乱で,大海人皇子(天武天皇)が天智天皇の御子大友皇子軍に追われ,矢が背にささり,かま風呂で治したと伝えられている。この矢が背にささったこと,つまり,矢背が八瀬になったともいわれている。
 この八瀬から大原に向かうと,真山がけ観音がある。平治の乱で源義朝が子頼朝を従えて,北国へ落ちて行くとき,比叡山の僧兵に襲われる。その時,鏃(やじり)で線彫りにした観音に助けられ,落ち延びたという。
 大原に入ると花尻ノ森がある。そこには,惟高(これたか)親王の墓がある。親王も藤原氏に政治的に敗北し逃れたのである。
 そして,平家物語の寂光院は,言わずと知れた建礼門院の隠棲したところである。これもまた,源氏に追われて,この地で過ごしたのである。
 このように歴史に彩られた「北」への道は,日本人の琴線に触れる道でもある。花園橋を越えて,高野川沿いの風景を見るとき,そんな人々を思い出して欲しい。