学校日記

形式美

公開日
2009/10/06
更新日
2009/10/06

校長室から

 4日の日曜日,京都市幼児・児童・生徒作品展及び姉妹都市交歓作品展の受付に出かけた。ちょうど小学校1年生の絵画作品が眼前にあり,眺めていた。縦四段で,下から二段目くらいがちょうど目の高さで,三段,四段目だとちょっと見上げねばならない。4時間ほど受付にいると,眼前の作品の順序が気になりだした。自分なら広がりのある作品を上段に,横に広がる作品はここにと,そして,周辺の作品を含めて全体構成はなどと,素人なりの配置を考えているのも楽しかった。
 ところで,わたしの専門は国語である。この広がりということを考えた時,原稿用紙の余白を思い出した。段落を変えるとき,いくマスかの空白ができる。これは文章自体の読みやすさとともに,1枚の原稿用紙を見たとき,どれだけの空白がバランスよく配置されているかが大切だと思う。わたし自身,どんな空白をつくろうかとイメージしながら原稿用紙を眺める。段落は変えればよいというものではない。この空白を調整しながら文章を考えなければならないと思う。そこで,文章というものが練れるのである。そのことで文章自体が磨かれていくのである。わたしは自分自身,原稿用紙の空白美と呼んでいるが,1枚の稿用紙全体を美しく見せようとすることは,読ませる人にも視線から読ませたいと思わせる形式美である。もちろんその形式美には,字の丁寧さも含まれる。がさがさと書いた字ではいけない。下手な字でもかまわない,丁寧に書いた字が大切なのである。わたし自身,見てくれの悪い原稿用紙を見ると,読みたいとは思わない。1枚目も読みたいと思わない原稿を,2枚目,3枚目と読み進められるだろうか。どれだけいいことが書いてあっても,読みたいと思う美を備えてなければならない。内容さえと良ければと思う人もあるかと思うが,その空白美を追求すれば,そこに入る言葉はもっと磨かれることは確実である。
 このことは,何も原稿用紙の形式美だけではない。例えば,挨拶もろくにできないのに,その人にそれ相応の評価を与えるだろうか。形式美といえども,大切な美意識であると思う。