大石内蔵助って?
- 公開日
- 2020/04/16
- 更新日
- 2020/04/16
6 年
みなさんは「忠臣蔵」って知ってますか。江戸時代に,兵庫県のお殿様である(浅野内匠頭)という人物が,自分の上司にあたる(吉良上野介)という人物に,あまり相手にされていませんでした。ある日,我慢の限界だった浅野内匠頭はお城の中で,刀を出して吉良上野介に切りかかりました。傷は浅かったのですが「お城の中で刀を抜く」という行為は禁止されていました。罰として,浅野内匠頭は切腹(自分でお腹を切る)をさせられて死んでしまいました。
お亡くなりになってしまった浅野内匠頭という人物は,多くの部下からたいへん慕われていました。その中にいた大石内蔵助という人物を中心に47人の部下が,浅野の「かたき討ち」をしようと計画を立てることにしました。「かたき討ち」の計画がバレないように,少しずつじっくりと計画を立てていきました。
「かたき打ち」の計画から約1年7か月の日々が過ぎた1703年12月14日に大石内蔵助を中心とした47人で見事,吉良上野介の首をとることに成功しました。この出来事は「忠臣蔵」として映画やドラマにもなっています。
みなさんは山階南小学校の南に“大石神社”という名前の神社があることを知っていますか。この大石神社は,大石内蔵助が「かたき討ち」の計画のために身を隠していた場所とされているのです。また毎年,山科区で行われている“義士祭”もこの時の47人のメンバーが山科の街を練り歩くという行事なのです。
自分たちが住む山科区には,こんな人物が関係していたと思うとワクワクしてきませんか。いつか大石内蔵助について調べてみるのも面白いですね。ちなみに6年1組の教室に,その本があるので見たい人は教えてくださいね。