いささか残念! 小中一貫新聞記事 その3
- 公開日
- 2014/12/01
- 更新日
- 2014/12/02
校長室から
先週、京都新聞で小中一貫の記事が連載されるや否や、お顔を合わせた保護者や地域の方から、「小中一貫えらいこと書かれてますね。」とか、私の名前が掲載された記事に対しては、「どんなこと話されたのですか。」というようなお尋ねが何件もありました。ホーム頁をご覧の方は、「校長先生のhpをみて安心しました。」ともおっしゃっていただきました。
土曜日の京都新聞朝刊には「『再生』の方程式」という連載の形で、「専門家に聞く小中一貫教育の意義と問題点」という見出しでお二人の有識者への取材記事が載っていました。これを読んでまた「いささか残念!」に思ったのです。
お一人は本校の運営協議会理事で、本校の様子をよく御存じの京都産業大学文化学部教授の西川信廣氏。全国のたくさんの学校現場を熟知の上「中一リセット」という問題提起をされ、文部科学省の調査結果という客観的材料をもとに、いじめや不登校、学習意欲に何らかの成果や手ごたえがあると述べられています。また、学年の区切りについても正解はないとしながら、15歳時点の学力に責任を持つことが大切と締めくくられています。
さらに、できれば統廃合はしない方がよいとしながらも、小規模校の人間関係の固定化等の解消に向けた提言をされています。
小中一貫校の会議の負担を、小中学校行事の共同化による事務量の削減で対応するなどの提言もなされており、最後には地域の違いにより生じる可能性のある格差に対しては、教育委員会等が制度の運用力をあげたり、情報の受発信を行うことで、教育の質の向上へとつなげる必要がある旨述べられています。
私が「いささか残念!」に思うのは、もうお一方の 子どもの発達と住まい・まち研究室主宰の室崎生子氏のインタビュー記事に対してです。
小中一貫教育には反対しないとしながら、以下述べられていることはすべて統合や施設一体型の小中一貫校の事ばかりです。「広がりすぎた校区は生活圏とかけ離れるため、子どもにとって良い影響は与えない。」と言い切る形で書かれています。どうしてこのように断言できるのでしょうか。本校の児童は広がった校区で今まで以上に多様な人間関係を築いていると思いますし、学習でもより多くの教育資源が活用できていると思うのですが、良い影響を全く受けていないと言い切れるのでしょうか。
さらに本校を名指しで、「子どもは地域の人に見守られて育つことで…校区が広がると必然的に、地域の人とのつながりは薄れてしまう。」と述べられています。まるで校区を持たない私学の小学校をイメージされているかのように思います。本校の開校と同時につくっていただいた子ども見守り隊の方々の献身的な見守り活動に対して、誠に申し訳なく思います。同時に子どもたちを大切にしようとする地域の方々の意識は、時には以前より強くなっているのではと思いますがいかがでしょうか。
次に、登下校に時間がかかることで、放課後に遊んだり屋外で遊ぶ機会が少なくなると指摘されています。本校下で最も遠いところまで何時間かかると考えておられるのでしょうか。バス通学を導入していることで最も遠いところまで、かかっても3,40分の校区であることを御存じでしょうか。この程度の通学時間を要する学校は本校以外にもたくさんあります。加えて、屋外での遊びに関しては、不審者対応による公園等における遊びが制限されることの方がより深刻で大きな問題だと思います。
様々な学年の区切りを「…まるで実験のようだ。」と述べられています。それぞれの学校の様々な要因による特徴、極言すれば強みや弱みをどのように生かし、また処していくのかという中に、学年の区切りもあるように思います。むしろ戦後すぐに設定された6・3の区切りを見直さないということは、これほど子供の発達や求められる力が変化している現在において教育の可能性を抑制してしまうのではないでしょうか。
そして学年の区切りに見られるような、多様な考え方が機会均等であるべき公教育では許されざるものであるとされています。御所南小の極端な人気が「公教育への期待の表れ」ではなく、「公教育への不信の表れ」とあたかも多くの市民が公教育に不信感を持たれているかのように表現されています。京都市の教育行政に対して不信を持たれているのは、この記事が真意を反映しているとすれば、取材を受けられた室崎氏もしくは記者そのものではないのでしょうか。
そして、ここで述べようとされる趣旨は機会均等ではなく、むしろ公平性ではないかと思いますがいかがでしょうか。本校はことあるごとにいろいろなメディアに特別な学校として取り上げられています。本当の公平とは何でしょうか。「低きにあわせた公平」が「高きを目指すが故の不公平」より優先して良いのでしょうか。社会は刻々と変化しています。一つの先進的事例が、やがて普遍化して全体のレベルを上げてきたことは多くの歴史が物語っています。ただ、「先進的事例として成果を上げた学校」が正しくパイロット校としてその指導内容や方法、形態等の情報を開示し、他校へと広げていく責務を担っていることは言うまでもありません。
この記事においては、論点の異なる有識者2人を並べて意見の違いを際立たせるという手法が用いられました。西川氏が「意義と問題点」というそれぞれに答えられているのに対して、室崎氏の記事には「意義」は見当たりません。「問題点」を羅列するに終始した記事になっているのはなぜでしょうか。
この間、京都新聞において次々と問題を突き付けられている小中一貫校を預かる校長として、本校の児童生徒に責任を負う者として、看過できずに長文をしたためています。
教育は子どもたちに懸ける夢であり、創造であり、志にもとずく地道で継続的な行為です。本校では、与えられた様々な条件を強みとして活かし、負をプラスに転じ、地域や保護者の皆様の協力をいただきながら質の高い教育を展開してまいります。
地域の皆様が選択された施設一体型小中一貫校。2中5小、8学区の統合を通して、伝統ある旧学区の良さを引き継ぎつつ、新しい開睛校区が生まれ、より多様な方々との出会いを通して、広くなった校区を誇りとして逞しく生き抜く人間を、共に育ててまいりたいと思います。