京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2019/03/29
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豊かな人間性の育成をめざし 互いの人権を尊重し合い「若き日に心を磨き」「若き日に身体を鍛え」「若き日に知識を広め」「若き日に友と交わり」 未来の糧を創ろう!         歩む道に迷いなし。このまま,まっすぐに・・・         3月29日(金) 離任式

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「受験は団体戦」
 中学生の頃から本格的にソフトテニスに取り組んできました。楽しさも厳しさも喜びも悲しみもこの競技の中で多くを学びましたし、今も大事な人間関係があるのはこのスポーツに携わってきたお陰です。
 テニスは基本的に個人スポーツですが、団体戦という部門があります。卓球やバドミントン、柔道や剣道、相撲などにもこれはあり、最近ではフィギュアスケートや水泳、体操競技でも団体戦が注目されてきました。そうそう、アニメと映画で一躍有名になった「ちはやふる」もカルタ界での団体戦の話です。団体戦は、個人の点取り合戦なのですが、これがなかなかプレッシャーがかかるのです。事実、私は学生時代の一時期、リーグ戦(団体戦)で勝てなかったり、格下と思われる相手に苦戦を強いられたりと苦い経験をしました。当時はキャプテンを務めており、『自分が勝たなければならない』という気持ちが重圧となって勝てないのでした。一方で、個人がチームのことを思い、選手と控え選手(応援の人たち)とが一体になってプレッシャーの中で戦うこの部分が団体戦の大きな魅力になっています。事実、仲間の声援を背中に受けながらプレーをしたあの青春時代は今も私の宝物です。また、これらの感覚は野球やサッカーなどのチームスポーツに繋がるところだとも思ってやってきました。
 教師になって、テニス部を指導するようになってからも団体戦を大事にしてきました。その楽しさと、団体戦で勝つことの意味を部員に強く説いてきたものです。
 さて昨日、3年で公立高校の前期選抜試検に向けて、激励と最終注意のための学年集会がもたれました。直前に学年主任が校長室に連絡に来ました。「生徒指導があって、教師が何人かそちらに着かなければならない」というのです。仕方のないことかとも思いましたが、次のように返答しました。
「高校受験(検)は団体戦です。その決起集会に一部であっても担任の先生がいないということは避けるべきです。できる限り全員で臨めるよう調整し直してください。」
 用意していた訳ではありませんが、上手く言ったものだと自分自身の言葉に感心しています。そうなのです。高校受験(検)は、一人ひとりが学年というチームのことを思って戦う団体戦なのです。しかも、この団体戦は点取り戦ではありません。全員が勝たなければならない特別な団体戦なのです。
 学年集会での激励の言葉は次のように締め括りました。
「明日の試検、学校によっては一人で受けに行く人がいるかもしれません。また、テストの間は一人で答案用紙に向き合います。しかし、君たちは決してひとりじゃない。ここに居る先生も含めたみんなが別々の場所で頑張っているんだということを思っていて欲しい。みんながいるから、仲間も頑張っているから自分も頑張るんだという気持ちでやっておいで。健闘を祈っています。」

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijia〜

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「個性を活かしたチーム」
 一昨日、今年度最終の伏見支部PTAの総会がありました。会の冒頭で代表の方が、あいさつの中で次のように仰いました。「長い間PTA活動に携わってきて自分が一番変わったことは、共に活動してくださる方に感謝の気持ちをもてるようになったことです。『来てくださってありがとう』『活動に参加してくださってありがとうございます』そんな言葉が自然と言えるようになりました。」「それまでは自分の中のどこかに『私がこれだけやっているのだから、このくらいはやってくれ!』というような気持ちがあった。」とも言っておられました。その場を信頼して正直に語られたすばらしい挨拶でした。
 それを聞きながら思い出したことがありました。まだ20歳代の若い頃、部活動の顧問について私も同じようなことを思ったものです。「なんで俺ばっかり…!」でも、本気で部の指導に取り組んで熱中しだすと、「自分が好きだからやっているんだ」とそんなことは一切気にならなくなりました。また、補導主任や生徒指導部長として問題行動の最前線で動き回っていた頃のことも思い出しました。
 『なんで、こんなことができひんねん!この場面はもっと叱らなアカンやろが!』
『この学校の教師が全員俺やったら…!』今思うと何と傲慢なことをと恥ずかしい限りですが、その時の私が他の先生の指導を観てこう感じたことは事実です。
 そんな私も変わりました。当時の校長先生のアドバイスがきっかけでした。「澤田先生、アンタに就援(就学援助)の仕事ができるか。学校ではこれも大変で大事な仕事や。生徒指導だけが教師の能力やない。組織は適材適所で動いているんやで。」その時、こんな例を示して仰った言葉を今もはっきりと覚えています。
 中堅教員と呼ばれるようになった頃、当時の学校でそれなりの発言権をもつようになって次のように思うようになりました。『すべての教職員が同じ指導などできるはずがない。一人ひとりがその時々に出来る最善を尽くし、互いの不足部分をカバーし合うのだ。そして、同僚の仕事と動きを認め尊重し合い、お互いを尊敬しあうことが大切だ。』そう考えることで、自分が随分楽になりましたし学校全体にそのムードが満ちて教職員が一段とまとまったようにも思います。
 マルチな才能を持つ人は居ます。しかし、決して全員がそうではありません。ならば、皆が自分の得意分野を最大限に発揮し、それを皆が認め合える組織を作るのがよいでしょう。できないことを批判し合う組織にしてはいけません。(不正や不道徳、いい加減は許せません)このことはプロの野球やサッカーなどの世界でも同じです。
 強いチーム、よいチームは、その構成員が得意分野を最大限に発揮し、誰かの不足部分を別の人が自然とカバーしています。互いの力を認め合っているので本当の協力が生まれます。支部PTAでの代表者の挨拶からこんなことを思い返しています。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「一つひとつを丁寧に」
 今回の訪問において、私はある程度緊張していた。両親がともに京都市の南部出身で、今回の訪問の前に両親から過去の向島中学校について話を聞いていたからだ。当日、実際に訪問させて頂いた際には驚いた。先生方と校門で親しげに会話をし、積極的に授業に参加している生徒たちを見て「何も身構えることはなかったんじゃないか」と感じた。しかしこれは校長先生がお話されていたように、これまでの先生方や生徒の頑張りがあったからこその成果なのだと思った。これから教員を目指す私たちに求められるのは、そうして生まれ変わった学校を「今はこんな素敵な生徒たちがいるのだ」と周りに認知してもらえるよう働きかけることであると思った。また、今回初めて生徒は様々な事情を抱えて生活しているということをはっきりと感じた。生徒たちが生きる環境にはそれぞれの都合があり、私たちが介入できる部分は限られているのかもしれないが、常日頃から生徒のことをよく見て、少しでも変わったことがあればすぐに気付いて対応できるようになりたいと思った。時には、生徒の深い事情にふれる覚悟が必要であり、生半可な気持ちで教員を志してはいけないと再認識することができた。…後略…
 先月、本校に来てくれた大学生の書いたレポートが送られてきました。1時間の講義と2時間の授業参観を終えての感想ですが、良い学びをしてくれたと感じます。それにしても、文章の冒頭の部分は気になります。一度付いた悪いイメージはなかなか変えられないものなのですね。でも、この学生のように、こうした偏見をなくす行動をしたいと思っている人も居ると知って嬉しいです。
 さて、先週から今週にかけて3年生を対象に面接練習を行いました。学級担任、学年の先生の指導を経て、最終的に他学年の先生や管理職が行うこの場に臨むのですが、どの子も予想をはるかに超えて大変上手でした。
 志望動機や趣味、将来の夢などについては、子どもたちは事前に答えを準備しています。これらは上手く答えられて当然ですが、予想していなかった質問に対してもとても上手に答えていました。
「これまでの人生で一番大切にしてきたものは何ですか。」私は、毎年必ずこの質問をします。答えは「家族」が最も多く、「友達」がそれに続きました。そして、全員がその理由もしっかりと話すことができました。本校生徒が、大切なものとして、物ではなく人間関係を挙げることを嬉しく思います。また今年も、終了と同時に涙を流す生徒がいました。極度の緊張感からの解放と何とか乗り切れたという安ど感からくる涙なのでしょうが、生徒を何とも愛おしく感じる瞬間です。
 面接練習はどの学校でも行います。こうした取組を丁寧に、確実に生徒の成長へと結び付けていくことは、きっと学校の評判を上げることに繋がるはずです。向島地域の子どもたちのため、今後も一つひとつの取組に丁寧に向き合っていきましょう。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「雪の魔法」
 大きな行事の修学旅行が終わりました。何とも楽しく充実した3日間でした。今年は同じ信州でも「白馬五竜」というスキー場が選ばれました。行って一番初めに気づいたのは外国人の多さです。ペンションのオーナーに尋ねました。「オーストラリアを中心とした南半球の人たちが、夏休みを利用して来ています。平日は半分以上が外国人のスキーヤーです。今は、この村の何軒かのペンションがオーストラリア人の所有になっています。」
 なるほど、日本とは季節が反対である南半球の人たちが、観光地としてオリンピックの会場にもなった白馬村に目を付けたのですね。
 さて、修学旅行の話です。今の2年は、昨年度から生徒間トラブルの多い学年でした。学習意欲の乏しい生徒が少なくなく、授業中が落ち着かない時期がありました。次々と指導が続いて教職員と生徒との関係が悪くなっていった時期もありました。もちろん一生懸命に頑張る生徒がたくさん居るのですが、それが正当に評価されない雰囲気ができて、学年内に重苦しいムードが立ち込めた時期があったことも事実です。昨年度の今頃、『このままではいけない!』と、学年のリーダーたちが立ち上がりました。卒業生を送る会の取組を立派に成功させました。2年になってからは徐々に落ち着きをみせ、同時に学年としての力をつけてもきました。学習発表会と音楽コンクール、体育大会の頃には、昨年度とは比べものにならないほどの成長を見せました。そしてこれ以降、教室内に“大人なムード”ができ始めてきました。
『修学旅行を契機に子どもたちを更に成長させ、もっと団結させて3年生へと進級させたい。』教職員の思いもそこにありました。
「私は今感動しています。“雪の魔法”のお蔭でしょうか。みんながホントに良い子で、楽しい修学旅行ができました。この時間が終わらなければよいと思っています。」
スキー学校の閉講式後、学年主任が涙ながらに生徒に語りかけました。教師集団の思いを代弁する主任の言葉に、生徒たちは勿論、スキー学校の先生方までも目頭を熱くしました。教師と生徒とが確かな絆で繋がった感じもしました。
「私は校長だから、生徒の皆さんだけでなく、常に先生方の動きを観ています。子どもたちにどのように働きかけているか、きちんと寄り添っているか等です。今回の修学旅行では、先生方もよく頑張ってくれました。修学旅行成功の陰に先生方や保護者の皆様、旅行会社やペンションの方、スキー学校の先生方など、多くの人の支えがあったことを忘れてはいけません。周囲の皆さんへの感謝の気持ちをもって、修学旅行の大成功を喜びましょう。」解団宣言を行う前に子どもたちにそう言いました。
 私たち教職員は、学校生活全般に渡って常に生徒を中心に物事を考え、生徒の健全な成長を願って取り組んでいます。それは“雪の魔法”が解けた後も変わりません。

『南風、吹かせ!』〜hot wind from Mukaijika〜

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「苦しんでへんか!?」
 15日(日)の大雪には驚かされました。街づくりの会議があって、こちらに来なければならなかったのですが、流石にバイクはもちろん自動車を使うのも諦めました。それにしても、あの日の全国都道府県対抗女子駅伝には心を動かされました。TV画面が真っ白になる程の雪の中、激走するランナー、特に京都の中学生が頑張る姿には何回か画面に向かって声を掛けました。
 さて、私は多趣味なのですが、「読書」もその一つです。“しなければならないこと”や“やりたいこと”が多いので、読書にそう時間はとれません。大体1週間に1冊のペース、1年間で約50冊の本を読みます。警察ものの推理小説が好きですが、特にジャンルは問いません。ミーハーと笑われるかもしれませんが、書店の店頭に平積みされている話題の本はまず読みますね(笑)。
 先日手に取った作品が荻野浩著の『コールドゲーム』という小説です。第155回直木賞を獲得した人の作品ということで、これも平積みされていました。主人公は野球部を引退したばかりの高校3年生です。冒頭はそんな高校野球の話だったので、てっきり青春ものなのかと読み始めたのですが、すぐに全く違う展開になっていきました。「いじめ」を題材にした作品だったのです。中学2年生の頃にいじめられていた子が、4年経って自分を苦しめていた子たちに次々と復讐をしていくという、これまであまりなかった内容です。(まだ半分しか読んでいないので確かではないかもしれません…)
 中2当時「いじめ」の傍観者であった主人公は、野球部を引退してすぐに大学受験に向き合うことができずにいるところでこの復讐劇に巻き込まれます。彼の目を通して怪事件の謎が解き明かされていくのですが、その過程で「いじめ」の構造や実態が見えてきます。そして、知らぬ間に読み手が「いじめ」について深く深く考える自分に気づかされます。是非中学生にもこの小説を読んでほしいと思ってとり上げました。
 今、向島中学校には「いじめ」で悩み苦しんでいる人がいるのでしょうか。年間数回実態調査を行い、小さなものでも見つかれば、担任の先生を中心に解決に向けて行動しています。小説『コールドゲーム』の中に出てくるような酷い「いじめ」は挙げられてきませんが、残念ながら、不安を抱えていたり嫌な思いをしたりしている人はいるのが現実です。
 学校は、本来すべての生徒にとって楽しく居心地の良い場所であるはずで、本校を「いじめ」に関して不安や悩みをもつ生徒が一人もいない状態にしたいと思っています。完全に実現するのは難しいのかも知れませんが、“しんどい”と感じた時に傍に相談できる友達や先生がいる学校にはできると思っています。
 皆さん、常に周りの状況に敏感であってください。あなたの周りに“しんどい”思いをしている人はいませんか。そしてもし、そんな人がいたならあなたに出来ることを考えて行動してください。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「ちょっと無理をして」
 元旦の午後、久しぶりに下の息子と二人で大文字山に登りました。「お父さん、かなり無理したはったで。結構速いスピードで登ったし…。」息子がそんなことを言っていたと後に妻から聞きました。『何を言うか!私に着いてこられなくて息子が傷ついたら可愛そうやし、ペースを緩めてたんやで。』これは本当です。しかし、それは言葉にしませんでした(笑)
 駅伝にマラソン、サッカーやラクビー、バレーボール、バスケットボールなど、年末年始は冬のスポーツ全国大会ガ真っ盛りです。特に高校生の試合はTV画面に見入ってしまいます。ここまで来るのに、一体どれだけの時間と労力を費やしてきたのでしょう。おそらくは、多くの高校生が経験する楽しいことを犠牲にしてその種目に打ち込んできたのではないかと想像できます。
 全国大会に出場するだけでも“凄いこと”です。それを目標にして頑張っている人たちが何十万人もいるのですから…。試合に負けて悔し涙を流しているシーンを見ると、こちらまでもらい泣きしそうです。また、活躍する選手の陰に隠れてしまってはいますが、練習やトレーニングの過程で怪我をして出場できなかった人も居ることでしょう。そう考えると、あの場面で活躍し勝利を手にした人たちは、努力に努力を重ね、しかも身体のケアも怠らなかったほんの一握りであることに気づきます。本当に“凄いこと”なのです。
 さて、「無理せんとけよ!」とよく言います。果たして、無理をせずに全国大会へ出場などできたでしょうか。また、TVの中の話ではなく私たちにしたって、まったく無理をしなければ、きっと体力も技術力も精神力も向上することはないと思います。
 「常に全力を尽くせ。そうしていると、時に実力以上のことができる瞬間がある。それを自覚することだ。その時その分だけ上達できる。技術も体力も同じだ。全力を尽くすことのない者には、決してこの瞬間は訪れない。」部活動の指導に力を入れていた頃、生徒によくこんなことを言いました。
 3年生の受験が目前に迫ってきました。1・2年生も学習に力を入れて学年の締めくくりをする時です。そんな時期だから敢えて言います。「少々無理をしてでも学習に力を入れましょう。」大きな行事は2ndステージで終了しました。全国の中学校で、今は学習に力を入れる時なのです。決してその波に乗り遅れてはなりません。
 「何で合唱なんてしなアカンねん!」音楽コンクールの取組に対して、こんな言葉を吐いていた人が周りに居ませんか。先生や仲間に支え励まされて取り組んだ結果、「やってよかった!」って言っているんじゃないでしょうか。勉強も一緒なのです。
 中学校に“いい加減にやって楽しいこと”など一つもありません。
 さあ、今こそ“ちょっと無理をするぐらい”して学習に力を注ぐのです。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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『立ち向かうのです』
 平成29(2017)年、新しい年がスタートしました。昨年末に父が他界しましたので、今年は新年のご挨拶を遠慮させていただきます。向島中学校に通う子どもたちが幸福に暮らすための支援に向けて、教職員と共に頑張っていく所存です。今年もよろしくお願いします。
 「逃げたらアカン!」55年間、父から色々なことを教わってきましたが、最も強く印象に残っているのがこの言葉です。初めて聞いたのはいつごろだったでしょうか。小学生か、或いは中学生になった頃だったかもしれません。私は、“何事にも積極的で小さなことにクヨクヨしないナイスガイ”と見られがちです。しかし、子どもの頃の私は決してそうではありませんでした。長男独特の甘えん坊の部分と引っ込み思案、弱気で内気な性格で、小学校低学年の頃までは近所の子たちについていくタイプでした。ガキ大将を中心に子ども同士で日が暮れるまで遊んだ時代のことですから、泣かされて帰ってくることもしばしばでした。そんな私を両親は心配したでしょうが、他の子の親もそうであったように、特に問題にすることはなかったように思います。
 何があった時でしょうか、父が私に言ったのが先の言葉です。「ええか、一回逃げたら、何べんでも逃げんならん。後ろ向かんとじっと辛抱するんや。」
「逃げたらアカン!」の後にはこうも付け加えました。部活動や受験勉強でしんどい時などに何度か聞いたようにも思いますが、ひょっとしたら父から直接聞いたのは一度きりで、その後はその時々に自分で思い出していたのかもしれません。
 いつの頃からか、しんどい時にも立ち向かえるようになったと思っています。また今では、悩んだときにはより困難な道の方を選択すべきだと思えるようにもなりました。人は変われるんだということを、自分自身の経験から信じています。
 現在の向島中学校は、生徒と教師との関係が良好で、この面ではどの中学校にも負けないと自負しています。生徒指導上の問題は起こりますが、その処理の過程で生徒や保護者との間の信頼関係をより強めています。音楽コンクールや体育大会などの行事は大いに盛り上がります。学習発表会や全校集会、学年道徳などの場面では、自分の思いを堂々と語ることのできる生徒が増えてもきました。しかし、これらの取組が狭義の学力の向上へと結びついてきません。この部分が一番の課題だと考えています。
 『家庭的に厳しい状況の生徒が多いから…』そう言って諦めれば「逃げている」ことになります。新年にあたり、生徒や保護者、地域の方と、この課題をもっと深く共有してその克服のために立ち向っていきたいと決意を新たにしています。
 『しんどい家庭や地域には低学力の子が多い』いつまでもそんなことを言わせてはおられません。人が変われるように、学校も変われるはずです。共に課題に立ち向かい、みんなで一緒に立ち上がっていきましょう。今年もよろしくお願いします。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「父の影響」
 父が逝きました。静かな最期でした。家族みんなに惜しまれ涙されての旅立ちでした。17日の土曜日、『万が一のことがあっては…』と全校集会で使うプレゼンを作りに学校に来ていました。たまたまその日、携帯電話を家に忘れていました。「携帯には出ないし、学校に電話しても留守電になるし…、ホンマ困ったわ!」とは、後に家族から聞かされたことです。
 「おじいちゃんの意識がなくなった。直ぐに来て!」ダイニングテーブルの上のメモを見て、必死で心を落ち着かせて父の元へと急ぎました。既に身内のほとんどが揃っていて沈痛な面持ちを浮かべていました。「お父さん、帰ったで!」耳元で叫び、父の目の前に右手を挙げました。すると、しんどそうにしていた父も同じように右手を挙げて応えてくれました。「お兄ちゃんの声は聞こえるんやな」妹の言葉です。
 大きく速い呼吸を続けます。夢でも見ているのでしょうか、時折、何かを掴もうとでもするかのように両手を空中に差し出します。それが最期を迎えた人の共通の行為だと看護師さんから聞き、父の命が長くはないことを悟りました。「おじいちゃーん!」大学生の姪がやって来て、涙しながら絶叫しました。その瞬間、父が微笑んだように見えました。聴覚は最後まで残る感覚だということです。それから約1日半、必死に呼吸を続けましたが、ついにそれが止まりました。私が介護をする日。夜中に起きては「迷惑かけるなぁ。申し訳ない。」と言っていた父です。『もうこれ以上は家族に迷惑を掛けられん!』そう思って逝ったのだと解釈しています。
 2ndステージ最後の全校集会で、予め用意していた話題の前に父の最期について話しました。「校長先生、2日間どこに行ってたん?」その日の登校時、2年の女子生徒がそう訊いてくれたことで話そうと決心しました。
 『担任している時なら、きっと教室で子どもたちに話すだろう。自分の置かれている状況と気持ちを目の前の子どもたちとも共有したい。誰にでも起こり得ることなのだから理解してくれるはず。本校の場合、祖父母と離れて暮らす子どもたちが多く、身内の死に際に立ち会えないことも多いように思う。』伝えなければならないと感じた理由です。『校長先生、何を言い出すんや!?』はじめはそんな雰囲気が伝わってきましたが、やがて体育館は“シーン!”として生徒と教職員の目が私へと注がれました。
 私が泊まる日には父と2人でビールとお酒を飲みました。アルコールの大好きな父は「うまい!」と言っては少しの量を胃の腑へと運びました。2人だけの特別な時間を持てたことは、大きな喜びでありよい思い出となりました。これまで、色々なことを父に相談してきました。教師ではない父の意見が大変参考になったと思っています。最も身近な相談相手はもういません。『父ならどう答えるだろう』今後は自問自答になるのでしょうが、既に私の考え方には父のそれが大きく影響していると思っています。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「不屈の魂」
 百田尚樹氏のベストセラー『海賊と呼ばれた男』が、岡田准一さん主演の映画となって公開され、早くも大ヒットしていると聞きます。約2年前、この小説が書店の店頭に平積みされていた時、その帯には確か“劇画化決定”と書かれてありました。戦前から戦中、戦後という時代背景と、苦労を重ねつつも世界へ向けて活躍する主人公のエネルギーと壮大なドラマ性が気に入って『この小説が映画化されたら面白いだろうな』と考えていたことを覚えています。
 また、今は『海と月の迷路』という大沢在昌氏の小説を読み始めています。警察小説で時代は昭和34年、場面は長崎市の通称「軍艦島」です。この小さな島で起こった事件を一人の若い警察官が追うのですが、何しろこの島は、当時では珍しいコンクリートの高層住宅が幾棟も建ち、人口密度は東京以上、5千人を越える人間がひしめき合って生きていました。戦後の高度経済成長期、日本の復興と産業の高度化を支えた炭鉱の島で働く人々の様子や、そこに暮らす人間の日常生活が何ともリアルに描かれており、事件の解明とともにそちらにも興味をもって読み進めています。
 今なぜかこの時代の小説に心惹かれます。この時代の人々のエネルギーを見習いたいという気持ちにもなってくるのが不思議でなりません。
 先日、育成学級の社会科の時間に京都市の市電の話がされていました。「校長先生は市電に乗ったことって、ありますか?」生徒に突然聞かれて「もちろん。銀閣寺道から京都駅まで2番の市電によく乗ったよ」と答え、併せて「当時は小学生が15円、中学生以上の運賃が30円だった。」と付け加えました。
 今と比べたら、当時の人々の暮らしはずっと貧しかったけれど、世の中には活気がありました。あちこちから人の声が聞こえ、巷に子どもがあふれ、常に近所は賑やかでした。豊かな生活を手に入れるために高校や大学へ進学し、安定した収入の得られる職業に就きたいと皆が子ども心に思っていました。
 我々は何のために生きるのでしょうか。「国の復興や経済成長のため」などと考えていたのは当時も政治家や経済界の一部の人たちで、ほとんどの国民は自らの豊かで幸福な生活を手に入れるために精いっぱい働いてきたのだと思います。
 今は物質的に随分豊かになりました。福祉が一定程度充実してもいます。働かないと生きていけないという時代ではなくなりました。しかし一方で、よりよい生活を得るために貪欲に生きる人間は少なくなったように思います。『海賊と呼ばれた男』や『海と月の迷路』は私たちが忘れかけているそんな精神を思い出させてくれるのです。
 今の時代、若い人たちは学習をはじめ生活を送るうえで、与えられることに慣れてはいけません。自らを鍛え、高めようとする不屈の魂をもってほしいと願っています。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「愛の反対は?」
 先日の全校集会で、この言葉をきっかけに人権について話をしました。また、3日の伏見支部PTAの人権啓発の際にも同様の話をさせてもらいました。
 「愛の反対は、憎しみではなくて無関心です。」こう言ったのは、マザー・テレサという修道女です。「人権週間」真っ只中の今、私はこの言葉が人権問題を解決する重要なキーワードであると思っていますので、今回はテレサのことを中心に、私が彼女から学んだことなどについて綴ります。
 マザー・テレサは、1910年に生まれました。カトリック教会の修道女として神に使えますが、後年、『神の愛の宣教者会』という修道会を創立し、インドのカルカッタで厳しい生活を強いられてきた極貧の人々を支援する活動を始めます。その活動は後進の修道女たちによって全世界に広められました。その活動が高く評価されて1979年、ノーベル平和賞を受賞します。以下は、授賞式でのスピーチの一部です。
 私は皆さんが考えておられるようなノーベル平和賞の受賞者には値しません。でも、誰からも見捨てられ、愛に飢え、死に瀕している世界のもっとも貧しい人々に代わって賞を受けました。私には、受賞の晩餐会は不要です。どうか、その費用を貧しい人たちのためにお使いください。私に与えられるのは祈りの場だけしかないのですから。
 ノーベル賞を受けたことで、当時高校生だった私は改めて彼女のことを知りました。上のスピーチにも驚きましたが、2年後の1981年に彼女が来日した時のスピーチに、当時大学生であった私は大きな衝撃を受けたのをはっきりと覚えています。
 豊かで美しい国の中に心の貧しさがあること、特に人口妊娠中絶に対する厳しい批判は、大学受験を終えて楽しい生活を享受しつつあった私の心に突き刺ささりました。また、当時流行した「産まれたばかりの赤ちゃんをコインロッカーに置き去りにすること」に対して痛烈に批判し、「私に預けなさい」と述べたことも覚えています。
 インターネットのない当時、新聞や書物でテレサのことを調べて見つけたのが全校集会やPTA啓発の場で紹介したノーベル賞授賞式後の記者とのあのやりとりです。
記者:「世界平和のために、私たちに出来ることを教えてください。」
テレサ:「家に帰って、家族を大切にしてあげてください。」
○豊かそうに見えるこの日本でも、実は戦争をしている国と同じくらい貧しいということ。それは、日本が豊かであるがゆえに、人の心を気遣う気持ちが欠け、他の人を思う心がなくなってしまっているからだと思います。
○心の貧しさは、豊かそうに見えるこの日本でもあることに驚きました。食べ物を残さない。人をいじめないなど、身近なことからできると感じました。
以前にマザー・テレサを題材に行った道徳の授業の際に生徒が書いた感想です。
「愛の反対は…」今一度、この言葉の深さを考え直してみてほしいと思います。

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2/22 総括考査5(1,2年)
2/23 総括考査5(1,2年)
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京都市立向島中学校
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