京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2019/03/29
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豊かな人間性の育成をめざし 互いの人権を尊重し合い「若き日に心を磨き」「若き日に身体を鍛え」「若き日に知識を広め」「若き日に友と交わり」 未来の糧を創ろう!         歩む道に迷いなし。このまま,まっすぐに・・・         3月29日(金) 離任式

『南風、吹かせ!』〜hot wind from Mukaijika〜

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「苦しんでへんか!?」
 15日(日)の大雪には驚かされました。街づくりの会議があって、こちらに来なければならなかったのですが、流石にバイクはもちろん自動車を使うのも諦めました。それにしても、あの日の全国都道府県対抗女子駅伝には心を動かされました。TV画面が真っ白になる程の雪の中、激走するランナー、特に京都の中学生が頑張る姿には何回か画面に向かって声を掛けました。
 さて、私は多趣味なのですが、「読書」もその一つです。“しなければならないこと”や“やりたいこと”が多いので、読書にそう時間はとれません。大体1週間に1冊のペース、1年間で約50冊の本を読みます。警察ものの推理小説が好きですが、特にジャンルは問いません。ミーハーと笑われるかもしれませんが、書店の店頭に平積みされている話題の本はまず読みますね(笑)。
 先日手に取った作品が荻野浩著の『コールドゲーム』という小説です。第155回直木賞を獲得した人の作品ということで、これも平積みされていました。主人公は野球部を引退したばかりの高校3年生です。冒頭はそんな高校野球の話だったので、てっきり青春ものなのかと読み始めたのですが、すぐに全く違う展開になっていきました。「いじめ」を題材にした作品だったのです。中学2年生の頃にいじめられていた子が、4年経って自分を苦しめていた子たちに次々と復讐をしていくという、これまであまりなかった内容です。(まだ半分しか読んでいないので確かではないかもしれません…)
 中2当時「いじめ」の傍観者であった主人公は、野球部を引退してすぐに大学受験に向き合うことができずにいるところでこの復讐劇に巻き込まれます。彼の目を通して怪事件の謎が解き明かされていくのですが、その過程で「いじめ」の構造や実態が見えてきます。そして、知らぬ間に読み手が「いじめ」について深く深く考える自分に気づかされます。是非中学生にもこの小説を読んでほしいと思ってとり上げました。
 今、向島中学校には「いじめ」で悩み苦しんでいる人がいるのでしょうか。年間数回実態調査を行い、小さなものでも見つかれば、担任の先生を中心に解決に向けて行動しています。小説『コールドゲーム』の中に出てくるような酷い「いじめ」は挙げられてきませんが、残念ながら、不安を抱えていたり嫌な思いをしたりしている人はいるのが現実です。
 学校は、本来すべての生徒にとって楽しく居心地の良い場所であるはずで、本校を「いじめ」に関して不安や悩みをもつ生徒が一人もいない状態にしたいと思っています。完全に実現するのは難しいのかも知れませんが、“しんどい”と感じた時に傍に相談できる友達や先生がいる学校にはできると思っています。
 皆さん、常に周りの状況に敏感であってください。あなたの周りに“しんどい”思いをしている人はいませんか。そしてもし、そんな人がいたならあなたに出来ることを考えて行動してください。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「ちょっと無理をして」
 元旦の午後、久しぶりに下の息子と二人で大文字山に登りました。「お父さん、かなり無理したはったで。結構速いスピードで登ったし…。」息子がそんなことを言っていたと後に妻から聞きました。『何を言うか!私に着いてこられなくて息子が傷ついたら可愛そうやし、ペースを緩めてたんやで。』これは本当です。しかし、それは言葉にしませんでした(笑)
 駅伝にマラソン、サッカーやラクビー、バレーボール、バスケットボールなど、年末年始は冬のスポーツ全国大会ガ真っ盛りです。特に高校生の試合はTV画面に見入ってしまいます。ここまで来るのに、一体どれだけの時間と労力を費やしてきたのでしょう。おそらくは、多くの高校生が経験する楽しいことを犠牲にしてその種目に打ち込んできたのではないかと想像できます。
 全国大会に出場するだけでも“凄いこと”です。それを目標にして頑張っている人たちが何十万人もいるのですから…。試合に負けて悔し涙を流しているシーンを見ると、こちらまでもらい泣きしそうです。また、活躍する選手の陰に隠れてしまってはいますが、練習やトレーニングの過程で怪我をして出場できなかった人も居ることでしょう。そう考えると、あの場面で活躍し勝利を手にした人たちは、努力に努力を重ね、しかも身体のケアも怠らなかったほんの一握りであることに気づきます。本当に“凄いこと”なのです。
 さて、「無理せんとけよ!」とよく言います。果たして、無理をせずに全国大会へ出場などできたでしょうか。また、TVの中の話ではなく私たちにしたって、まったく無理をしなければ、きっと体力も技術力も精神力も向上することはないと思います。
 「常に全力を尽くせ。そうしていると、時に実力以上のことができる瞬間がある。それを自覚することだ。その時その分だけ上達できる。技術も体力も同じだ。全力を尽くすことのない者には、決してこの瞬間は訪れない。」部活動の指導に力を入れていた頃、生徒によくこんなことを言いました。
 3年生の受験が目前に迫ってきました。1・2年生も学習に力を入れて学年の締めくくりをする時です。そんな時期だから敢えて言います。「少々無理をしてでも学習に力を入れましょう。」大きな行事は2ndステージで終了しました。全国の中学校で、今は学習に力を入れる時なのです。決してその波に乗り遅れてはなりません。
 「何で合唱なんてしなアカンねん!」音楽コンクールの取組に対して、こんな言葉を吐いていた人が周りに居ませんか。先生や仲間に支え励まされて取り組んだ結果、「やってよかった!」って言っているんじゃないでしょうか。勉強も一緒なのです。
 中学校に“いい加減にやって楽しいこと”など一つもありません。
 さあ、今こそ“ちょっと無理をするぐらい”して学習に力を注ぐのです。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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『立ち向かうのです』
 平成29(2017)年、新しい年がスタートしました。昨年末に父が他界しましたので、今年は新年のご挨拶を遠慮させていただきます。向島中学校に通う子どもたちが幸福に暮らすための支援に向けて、教職員と共に頑張っていく所存です。今年もよろしくお願いします。
 「逃げたらアカン!」55年間、父から色々なことを教わってきましたが、最も強く印象に残っているのがこの言葉です。初めて聞いたのはいつごろだったでしょうか。小学生か、或いは中学生になった頃だったかもしれません。私は、“何事にも積極的で小さなことにクヨクヨしないナイスガイ”と見られがちです。しかし、子どもの頃の私は決してそうではありませんでした。長男独特の甘えん坊の部分と引っ込み思案、弱気で内気な性格で、小学校低学年の頃までは近所の子たちについていくタイプでした。ガキ大将を中心に子ども同士で日が暮れるまで遊んだ時代のことですから、泣かされて帰ってくることもしばしばでした。そんな私を両親は心配したでしょうが、他の子の親もそうであったように、特に問題にすることはなかったように思います。
 何があった時でしょうか、父が私に言ったのが先の言葉です。「ええか、一回逃げたら、何べんでも逃げんならん。後ろ向かんとじっと辛抱するんや。」
「逃げたらアカン!」の後にはこうも付け加えました。部活動や受験勉強でしんどい時などに何度か聞いたようにも思いますが、ひょっとしたら父から直接聞いたのは一度きりで、その後はその時々に自分で思い出していたのかもしれません。
 いつの頃からか、しんどい時にも立ち向かえるようになったと思っています。また今では、悩んだときにはより困難な道の方を選択すべきだと思えるようにもなりました。人は変われるんだということを、自分自身の経験から信じています。
 現在の向島中学校は、生徒と教師との関係が良好で、この面ではどの中学校にも負けないと自負しています。生徒指導上の問題は起こりますが、その処理の過程で生徒や保護者との間の信頼関係をより強めています。音楽コンクールや体育大会などの行事は大いに盛り上がります。学習発表会や全校集会、学年道徳などの場面では、自分の思いを堂々と語ることのできる生徒が増えてもきました。しかし、これらの取組が狭義の学力の向上へと結びついてきません。この部分が一番の課題だと考えています。
 『家庭的に厳しい状況の生徒が多いから…』そう言って諦めれば「逃げている」ことになります。新年にあたり、生徒や保護者、地域の方と、この課題をもっと深く共有してその克服のために立ち向っていきたいと決意を新たにしています。
 『しんどい家庭や地域には低学力の子が多い』いつまでもそんなことを言わせてはおられません。人が変われるように、学校も変われるはずです。共に課題に立ち向かい、みんなで一緒に立ち上がっていきましょう。今年もよろしくお願いします。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「父の影響」
 父が逝きました。静かな最期でした。家族みんなに惜しまれ涙されての旅立ちでした。17日の土曜日、『万が一のことがあっては…』と全校集会で使うプレゼンを作りに学校に来ていました。たまたまその日、携帯電話を家に忘れていました。「携帯には出ないし、学校に電話しても留守電になるし…、ホンマ困ったわ!」とは、後に家族から聞かされたことです。
 「おじいちゃんの意識がなくなった。直ぐに来て!」ダイニングテーブルの上のメモを見て、必死で心を落ち着かせて父の元へと急ぎました。既に身内のほとんどが揃っていて沈痛な面持ちを浮かべていました。「お父さん、帰ったで!」耳元で叫び、父の目の前に右手を挙げました。すると、しんどそうにしていた父も同じように右手を挙げて応えてくれました。「お兄ちゃんの声は聞こえるんやな」妹の言葉です。
 大きく速い呼吸を続けます。夢でも見ているのでしょうか、時折、何かを掴もうとでもするかのように両手を空中に差し出します。それが最期を迎えた人の共通の行為だと看護師さんから聞き、父の命が長くはないことを悟りました。「おじいちゃーん!」大学生の姪がやって来て、涙しながら絶叫しました。その瞬間、父が微笑んだように見えました。聴覚は最後まで残る感覚だということです。それから約1日半、必死に呼吸を続けましたが、ついにそれが止まりました。私が介護をする日。夜中に起きては「迷惑かけるなぁ。申し訳ない。」と言っていた父です。『もうこれ以上は家族に迷惑を掛けられん!』そう思って逝ったのだと解釈しています。
 2ndステージ最後の全校集会で、予め用意していた話題の前に父の最期について話しました。「校長先生、2日間どこに行ってたん?」その日の登校時、2年の女子生徒がそう訊いてくれたことで話そうと決心しました。
 『担任している時なら、きっと教室で子どもたちに話すだろう。自分の置かれている状況と気持ちを目の前の子どもたちとも共有したい。誰にでも起こり得ることなのだから理解してくれるはず。本校の場合、祖父母と離れて暮らす子どもたちが多く、身内の死に際に立ち会えないことも多いように思う。』伝えなければならないと感じた理由です。『校長先生、何を言い出すんや!?』はじめはそんな雰囲気が伝わってきましたが、やがて体育館は“シーン!”として生徒と教職員の目が私へと注がれました。
 私が泊まる日には父と2人でビールとお酒を飲みました。アルコールの大好きな父は「うまい!」と言っては少しの量を胃の腑へと運びました。2人だけの特別な時間を持てたことは、大きな喜びでありよい思い出となりました。これまで、色々なことを父に相談してきました。教師ではない父の意見が大変参考になったと思っています。最も身近な相談相手はもういません。『父ならどう答えるだろう』今後は自問自答になるのでしょうが、既に私の考え方には父のそれが大きく影響していると思っています。

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「不屈の魂」
 百田尚樹氏のベストセラー『海賊と呼ばれた男』が、岡田准一さん主演の映画となって公開され、早くも大ヒットしていると聞きます。約2年前、この小説が書店の店頭に平積みされていた時、その帯には確か“劇画化決定”と書かれてありました。戦前から戦中、戦後という時代背景と、苦労を重ねつつも世界へ向けて活躍する主人公のエネルギーと壮大なドラマ性が気に入って『この小説が映画化されたら面白いだろうな』と考えていたことを覚えています。
 また、今は『海と月の迷路』という大沢在昌氏の小説を読み始めています。警察小説で時代は昭和34年、場面は長崎市の通称「軍艦島」です。この小さな島で起こった事件を一人の若い警察官が追うのですが、何しろこの島は、当時では珍しいコンクリートの高層住宅が幾棟も建ち、人口密度は東京以上、5千人を越える人間がひしめき合って生きていました。戦後の高度経済成長期、日本の復興と産業の高度化を支えた炭鉱の島で働く人々の様子や、そこに暮らす人間の日常生活が何ともリアルに描かれており、事件の解明とともにそちらにも興味をもって読み進めています。
 今なぜかこの時代の小説に心惹かれます。この時代の人々のエネルギーを見習いたいという気持ちにもなってくるのが不思議でなりません。
 先日、育成学級の社会科の時間に京都市の市電の話がされていました。「校長先生は市電に乗ったことって、ありますか?」生徒に突然聞かれて「もちろん。銀閣寺道から京都駅まで2番の市電によく乗ったよ」と答え、併せて「当時は小学生が15円、中学生以上の運賃が30円だった。」と付け加えました。
 今と比べたら、当時の人々の暮らしはずっと貧しかったけれど、世の中には活気がありました。あちこちから人の声が聞こえ、巷に子どもがあふれ、常に近所は賑やかでした。豊かな生活を手に入れるために高校や大学へ進学し、安定した収入の得られる職業に就きたいと皆が子ども心に思っていました。
 我々は何のために生きるのでしょうか。「国の復興や経済成長のため」などと考えていたのは当時も政治家や経済界の一部の人たちで、ほとんどの国民は自らの豊かで幸福な生活を手に入れるために精いっぱい働いてきたのだと思います。
 今は物質的に随分豊かになりました。福祉が一定程度充実してもいます。働かないと生きていけないという時代ではなくなりました。しかし一方で、よりよい生活を得るために貪欲に生きる人間は少なくなったように思います。『海賊と呼ばれた男』や『海と月の迷路』は私たちが忘れかけているそんな精神を思い出させてくれるのです。
 今の時代、若い人たちは学習をはじめ生活を送るうえで、与えられることに慣れてはいけません。自らを鍛え、高めようとする不屈の魂をもってほしいと願っています。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「愛の反対は?」
 先日の全校集会で、この言葉をきっかけに人権について話をしました。また、3日の伏見支部PTAの人権啓発の際にも同様の話をさせてもらいました。
 「愛の反対は、憎しみではなくて無関心です。」こう言ったのは、マザー・テレサという修道女です。「人権週間」真っ只中の今、私はこの言葉が人権問題を解決する重要なキーワードであると思っていますので、今回はテレサのことを中心に、私が彼女から学んだことなどについて綴ります。
 マザー・テレサは、1910年に生まれました。カトリック教会の修道女として神に使えますが、後年、『神の愛の宣教者会』という修道会を創立し、インドのカルカッタで厳しい生活を強いられてきた極貧の人々を支援する活動を始めます。その活動は後進の修道女たちによって全世界に広められました。その活動が高く評価されて1979年、ノーベル平和賞を受賞します。以下は、授賞式でのスピーチの一部です。
 私は皆さんが考えておられるようなノーベル平和賞の受賞者には値しません。でも、誰からも見捨てられ、愛に飢え、死に瀕している世界のもっとも貧しい人々に代わって賞を受けました。私には、受賞の晩餐会は不要です。どうか、その費用を貧しい人たちのためにお使いください。私に与えられるのは祈りの場だけしかないのですから。
 ノーベル賞を受けたことで、当時高校生だった私は改めて彼女のことを知りました。上のスピーチにも驚きましたが、2年後の1981年に彼女が来日した時のスピーチに、当時大学生であった私は大きな衝撃を受けたのをはっきりと覚えています。
 豊かで美しい国の中に心の貧しさがあること、特に人口妊娠中絶に対する厳しい批判は、大学受験を終えて楽しい生活を享受しつつあった私の心に突き刺ささりました。また、当時流行した「産まれたばかりの赤ちゃんをコインロッカーに置き去りにすること」に対して痛烈に批判し、「私に預けなさい」と述べたことも覚えています。
 インターネットのない当時、新聞や書物でテレサのことを調べて見つけたのが全校集会やPTA啓発の場で紹介したノーベル賞授賞式後の記者とのあのやりとりです。
記者:「世界平和のために、私たちに出来ることを教えてください。」
テレサ:「家に帰って、家族を大切にしてあげてください。」
○豊かそうに見えるこの日本でも、実は戦争をしている国と同じくらい貧しいということ。それは、日本が豊かであるがゆえに、人の心を気遣う気持ちが欠け、他の人を思う心がなくなってしまっているからだと思います。
○心の貧しさは、豊かそうに見えるこの日本でもあることに驚きました。食べ物を残さない。人をいじめないなど、身近なことからできると感じました。
以前にマザー・テレサを題材に行った道徳の授業の際に生徒が書いた感想です。
「愛の反対は…」今一度、この言葉の深さを考え直してみてほしいと思います。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「ハチドリのひとしずく」より
 秋が深まり、朝晩の寒さが早くも冬を思わせます。バイク通勤の私にとっては厳しい季節がやってきました。
 さて、12月は「人権月間」です。我が国では「世界人権デー」である12月10日を最終日とする一週間を「人権週間」として各地で人権尊重を訴える集会やキャンペーンを行っています。来週その「人権週間」を迎えるにあたって、本校でも「総括考査」最終日の25日に全校集会を行って生徒と教職員全員で人権について考える機会をもったところです。
 ところで人権といえば、26(土)・27(日)の2日間、第68回全国人権・同和教育研究大会(全人同教)大阪大会に参加してきました。今年は熊本でこの大会が計画されていたのですが、4月の震災によって開催が難しくなりました。これまで一度も大会を中断させたことのない大会事務局は、急きょ大阪市での開催を提案し、近隣都市の協力も得て2日間の大会を実行しました。例年に比べると参加者は少なかったように思いますが、それでも期待通り、心が熱く揺さぶられる提案や参加者の発言に触れ、新たなエネルギーを充電してくることができました。また、全国に居る人権教育を通じて知り合った仲間と出会うこともこの場の楽しみの一つです。今年も鹿児島や愛媛、滋賀の仲間と再会し、更に西宮に新たな仲間の輪を広げることができました。
 今年の京都市の中学校代表はお隣の向島東中学校でした。一人の生徒に焦点を当て、担任教師が中心となって学級や学年集団(生徒と教職員)の取組によってその生徒が変容していった様が丁寧に報告されました。“教育とは、かくあるべき”と、目標をもって粘り強く取り組むことの大切さを再認識させてもらうと同時に、本校教育を見つめ直す気持ちを新たにして帰ってきました。
 向島東中学校の報告テーマの冒頭に「ハチドリのひとしずく」という文言が付いており興味を引かれました。報告内容を紹介することは控えますが、こちらについては、皆さんにも知ってもらいたいので是非紹介させてください。
ハチドリとは体長10センチ程度の小さな鳥で、花の蜜を主食としています。ブンブンとハチと同様の羽音を立てるためそのように呼ばれています。『ハチドリのひとしずく』は南米の先住民の言い伝えを物語にしたものです。
 森が燃えていました 森の生き物たちは、われさきに逃げていきました でも、クリキンディという名のハチドリだけは行ったり来たり 口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落しています 動物たちは、それを見て 「そんなことをして、一体何になるんだ」と笑います クリキンディは、こう答えます 「私は、私にできることをしているだけ」
 「人権週間」にあたって、私たちも自分にできる「ひとしずく」を見つけて一歩を踏み出してみてはどうでしょう。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「成長の手助け」
 一昨晩の全身に残る心地よい疲れが、時間と共に筋肉痛へと変わり、今では椅子への立ち座りにさえ思わず声を出すほどになっています。一昨日、久しぶりにテニスをしました。大学のOB会に顔を出したのです。着いた早々『えらいところに来てしまった!』という思い。昭和の時代の卒業生は私一人です。同じ京都市の中学校でテニス部顧問として活躍する人もおり、『ほっと、一安心!』じっと見ていると、10年程前ちょくちょく来ていた頃に知り合った後輩たちガ来ていることに気づきます。その中の何人かが挨拶に来てくれて、急にアウェイ感がなくなりました。
 「澤田先生、ひとつ試合をしませんか?」声をかけてくださったのは大学の現在の顧問の先生です。私より5歳以上上の方ですが、どうやら普段から練習をされているようです。「いっちょやりますか!」しかし、男子学生との対戦などとんでもない。ボールのスピードにも展開の早さにも到底ついていけそうにありません。「女子の選手で相手をしてくれる人はいませんか。」キャプテンに聞きました。「ならば、私たちが…!」出てきてくれたのは現キャプテンと前キャプテンのペアです。『これは手ごわそう!』
 案外身体は動きました。試合感覚も試合の進行とともにとり戻していきました。吾々オッサンチームに対する遠慮があったのでしょう。あるいは、彼女らが思っていた以上に我々の身体が動いたのかも知れません(笑)終始リードする展開で試合は進み、あっさりと勝ってしまいました。これで終わるには物足りなくて再試合となりました。彼女らも今度は遠慮がありません。初めから勝つ気です。こちらもスイッチが入り直します。むしろ2試合目の方がやり易くさえありました。また勝っちゃいました。
 2人がアドバイスを聴きに来ます。私の話に耳を傾ける一人の選手に見覚えがありました。「あっ、君は去年うちに来てくれた…」「覚えてくださっていましたか。そうです。学校訪問で向島中学校に寄せてもらった時、私たちの先輩だということで“一度お出で下さい”とお伝えしました。」一年で随分大学生らしくなっていました。月日だけではありません。様々な経験が彼女を成長させたのでしょう。
 本校の子どもたちもそうです。むしろ、成長期であるだけに心身の成長するスピードは大学生以上です。2年生など、ビックリするほど大きくなりました。日々の学習を中心に、様々な行事、部活動や生徒会活動を通じて子どもたちはものすごい勢いで成長し続けています。時には傷つくことも人を傷つけることもあるでしょう。でも、子どもたちの成長にとって不必要なものなど彼らの周りには何もありません。
 褒めて認めて励まして、時には叱って、また褒めて励まします。私たち教師の仕事はその繰り返しです。子どもの成長を見守り、彼らが幸せに生きられるよう手助けをするのってすごくやり甲斐のある仕事だと改めて思う今日この頃です。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「生きるを考える日々」
 朝夕の冷え込みが厳しくなりました。朝の校門に立つ際にはコートが欲しいと思うくらいです。草むらには既に虫の声はありません。かわって山茶花の木が蕾をつけ始めました。そう言えば、1月前は「音楽コンクール」が終わった頃で、まだみんな半袖でした。季節は確実に移っています。
 さて、久しぶりに父親のことを綴ります。
「誤嚥性肺炎」って知っていますか。高齢になると、喉の筋肉が上手く働かなくなって食べ物が食道ではなく気管から肺に入ってしまうようです。それが原因で肺炎を起こし、命を落とす高齢者が多いのです。日本人の死因を調べてみると、年齢が高くなるほどこうした肺炎による死者が増えます。
 「残念ながら、お父様はもう何も食べられなくなられました。」
 先月10日に医師からそう宣告されました。実際何か食べようとしてもむせて吐き出すばかりです。病院では点滴の栄養だけで生かされている状態でした。「腹が減って眠れへん。何か食わせてくれ!」意識のしっかりしている父は空腹と闘うようになりました。「こんなところに居たら餓死させられる。家に帰りたい!」病院は、肺炎を起こす患者に食事をさせてはくれません。空腹感が父の人格を変え始めました。医師や看護師に罵声を浴びせ、見舞いに来た家族に対してもキツイ言葉を吐きます。
 私たちは大きな決断をしました。在宅での看護と介護です。「食べたいのであれば、食べさせてあげよう」食べ物が喉に詰まるので、吸引の仕方も学びました。往診してくださる医師と訪問看護師を見つけてももらいました。“食べては吐き出す”、あるいは“食べては吸引する”を繰り返すうちに奇跡が起こりました。少しずつですが、喉を通る量が増えていったのです。自宅へ帰って3日目の夜、ビックリするほどの量の排便がありました。可笑しな話ですが排便に希望が見えました。今では、家で吸引することがなくなるまでに食べられています。性格も、元の温厚な父に戻りました。
 あのまま絶飲食を続けさせていたら、父は皆から嫌われながら死んでいたかもしれません。父の人間らしく生きようとする“気力”が医師の診断を覆らせたのだと思います。
 しかし、家族の生活は大きく変化しました。今この瞬間も父の傍には誰かが付いていなければなりません。父の看護・介護の在り方を巡って、妹や弟と時には激しい言い争いも起こります。そんな時は、母や私と弟の妻たちの困った顔を見るのもつらいです。父の「生きたい」という思いを尊重し、「父を支えていこう」ということを共有して、一人ひとりができることをやるようにしています。
 父の死と生を考える中で、近頃は、家族の在り方や自分の生き方についても一層深く考えるようになりました。どう生きるのか。幸福に生きるとは…。何かに集中しているとき以外は、「人が生きる」ということについてあれこれと考えています。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「チャンスを与える」
 ついこの間まで「暑い!あつい!」と愚痴っていたのに、今は24号線の気温計が10度を下回るようになりました。『いったいぜんたい、秋はどこへ行ったんや!』そんな気持ちで寒い空気の中をバイクで走っています。
 さて、10月29日(土)・30日(日)の2日間、今年も総合教育センターを中心に市内各所で「京都市中学校総合文化祭」が盛大に開催されました。本校からは、弁論大会、社会科研究発表会、美術展、吹奏楽演奏発表会の4部門に出場・出展しました。時間が重なったので、吹奏楽部の演奏を聴きに行くことはできませんでしたが、上々の出来だったと聞いています。
 美術展では、会場である堀川御池ギャラリーに入った途端、2−4の作品が“ドーン!”と目に飛び込んできました。また、その近くに1−3と6組の貼り絵も掲示されており、本校生徒の作品が結構目立つ場所に展示されていましたね。あれなら、観に行った人すべての人の目に留まったことだと思います。
 昨年度3位になった弁論大会。『今年もッ!』と意気込んで練習に取り組んでいました。何度考えてもトップバッターだったことが残念です。上位3人はいずれも後半の出演者です。元々力のある人たちが集う大会です。彼らは、前に登場する人のパフォーマンスを自分のエネルギーに変える力をもち合わせています。それでも見事な入賞でした。7人の入賞者が発表される時も、もちろん最初に名前が呼ばれました。出来栄えも『よかった!』です。堂々とした態度、抑揚と強弱に気を配った説得力のある話し方、そして着眼点。「優れた集団に優れたリーダーが要ることは当然だが、それよりもリーダーを補佐し、他を盛り立てながらまとめる一人の強力なフォロアーの存在が大事」自らの経験からのこの気づきは、今後の人生に大きく役立つはずです。
 6組の2年生3人が「向島ミュージアム」での発表をもとにして臨んだ社会科研究発表会もよく頑張りました。こちらも、昨年度「最優秀賞」を獲得していただけに、プレッシャーもありました。学習した内容を自らの生き方に結びつけ、なりたい自分像を滔々と謳ったラストには大きく心を動かされました。弁論も社会科研究発表も上位入賞者との差は僅かであったこと思います。
 中総文を終えるたびに「生徒に場を与えること」の大切さを感じます。中総文には、ここに紹介した他にも多くの部門があります。生徒はもちろん、先生も全部を知らないかもしれません。『あの子をこの場面に挑戦させたい!』すべてはそこから始まります。取組には時間と手間がかかりますが、後には、その生徒との絆がより深まったという実感が得られます。常に広くアンテナを張り巡らし、生徒に活躍の機会をドシドシ与えるべきで、これも教師の重要な役割だと思っています。やってみたいと思っている子、やれば力をつけたり発揮したりする子はいっぱい居ると思うのです。

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学校行事
1/26 2年修学旅行
総括考査5(3年)
京都市立向島中学校
〒612-8141
京都市伏見区向島二ノ丸町151-55
TEL:075-623-0512
FAX:075-623-0513
E-mail: mukaijima-c@edu.city.kyoto.jp