京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2019/03/29
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豊かな人間性の育成をめざし 互いの人権を尊重し合い「若き日に心を磨き」「若き日に身体を鍛え」「若き日に知識を広め」「若き日に友と交わり」 未来の糧を創ろう!         歩む道に迷いなし。このまま,まっすぐに・・・         3月29日(金) 離任式

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「父の影響」
 父が逝きました。静かな最期でした。家族みんなに惜しまれ涙されての旅立ちでした。17日の土曜日、『万が一のことがあっては…』と全校集会で使うプレゼンを作りに学校に来ていました。たまたまその日、携帯電話を家に忘れていました。「携帯には出ないし、学校に電話しても留守電になるし…、ホンマ困ったわ!」とは、後に家族から聞かされたことです。
 「おじいちゃんの意識がなくなった。直ぐに来て!」ダイニングテーブルの上のメモを見て、必死で心を落ち着かせて父の元へと急ぎました。既に身内のほとんどが揃っていて沈痛な面持ちを浮かべていました。「お父さん、帰ったで!」耳元で叫び、父の目の前に右手を挙げました。すると、しんどそうにしていた父も同じように右手を挙げて応えてくれました。「お兄ちゃんの声は聞こえるんやな」妹の言葉です。
 大きく速い呼吸を続けます。夢でも見ているのでしょうか、時折、何かを掴もうとでもするかのように両手を空中に差し出します。それが最期を迎えた人の共通の行為だと看護師さんから聞き、父の命が長くはないことを悟りました。「おじいちゃーん!」大学生の姪がやって来て、涙しながら絶叫しました。その瞬間、父が微笑んだように見えました。聴覚は最後まで残る感覚だということです。それから約1日半、必死に呼吸を続けましたが、ついにそれが止まりました。私が介護をする日。夜中に起きては「迷惑かけるなぁ。申し訳ない。」と言っていた父です。『もうこれ以上は家族に迷惑を掛けられん!』そう思って逝ったのだと解釈しています。
 2ndステージ最後の全校集会で、予め用意していた話題の前に父の最期について話しました。「校長先生、2日間どこに行ってたん?」その日の登校時、2年の女子生徒がそう訊いてくれたことで話そうと決心しました。
 『担任している時なら、きっと教室で子どもたちに話すだろう。自分の置かれている状況と気持ちを目の前の子どもたちとも共有したい。誰にでも起こり得ることなのだから理解してくれるはず。本校の場合、祖父母と離れて暮らす子どもたちが多く、身内の死に際に立ち会えないことも多いように思う。』伝えなければならないと感じた理由です。『校長先生、何を言い出すんや!?』はじめはそんな雰囲気が伝わってきましたが、やがて体育館は“シーン!”として生徒と教職員の目が私へと注がれました。
 私が泊まる日には父と2人でビールとお酒を飲みました。アルコールの大好きな父は「うまい!」と言っては少しの量を胃の腑へと運びました。2人だけの特別な時間を持てたことは、大きな喜びでありよい思い出となりました。これまで、色々なことを父に相談してきました。教師ではない父の意見が大変参考になったと思っています。最も身近な相談相手はもういません。『父ならどう答えるだろう』今後は自問自答になるのでしょうが、既に私の考え方には父のそれが大きく影響していると思っています。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「不屈の魂」
 百田尚樹氏のベストセラー『海賊と呼ばれた男』が、岡田准一さん主演の映画となって公開され、早くも大ヒットしていると聞きます。約2年前、この小説が書店の店頭に平積みされていた時、その帯には確か“劇画化決定”と書かれてありました。戦前から戦中、戦後という時代背景と、苦労を重ねつつも世界へ向けて活躍する主人公のエネルギーと壮大なドラマ性が気に入って『この小説が映画化されたら面白いだろうな』と考えていたことを覚えています。
 また、今は『海と月の迷路』という大沢在昌氏の小説を読み始めています。警察小説で時代は昭和34年、場面は長崎市の通称「軍艦島」です。この小さな島で起こった事件を一人の若い警察官が追うのですが、何しろこの島は、当時では珍しいコンクリートの高層住宅が幾棟も建ち、人口密度は東京以上、5千人を越える人間がひしめき合って生きていました。戦後の高度経済成長期、日本の復興と産業の高度化を支えた炭鉱の島で働く人々の様子や、そこに暮らす人間の日常生活が何ともリアルに描かれており、事件の解明とともにそちらにも興味をもって読み進めています。
 今なぜかこの時代の小説に心惹かれます。この時代の人々のエネルギーを見習いたいという気持ちにもなってくるのが不思議でなりません。
 先日、育成学級の社会科の時間に京都市の市電の話がされていました。「校長先生は市電に乗ったことって、ありますか?」生徒に突然聞かれて「もちろん。銀閣寺道から京都駅まで2番の市電によく乗ったよ」と答え、併せて「当時は小学生が15円、中学生以上の運賃が30円だった。」と付け加えました。
 今と比べたら、当時の人々の暮らしはずっと貧しかったけれど、世の中には活気がありました。あちこちから人の声が聞こえ、巷に子どもがあふれ、常に近所は賑やかでした。豊かな生活を手に入れるために高校や大学へ進学し、安定した収入の得られる職業に就きたいと皆が子ども心に思っていました。
 我々は何のために生きるのでしょうか。「国の復興や経済成長のため」などと考えていたのは当時も政治家や経済界の一部の人たちで、ほとんどの国民は自らの豊かで幸福な生活を手に入れるために精いっぱい働いてきたのだと思います。
 今は物質的に随分豊かになりました。福祉が一定程度充実してもいます。働かないと生きていけないという時代ではなくなりました。しかし一方で、よりよい生活を得るために貪欲に生きる人間は少なくなったように思います。『海賊と呼ばれた男』や『海と月の迷路』は私たちが忘れかけているそんな精神を思い出させてくれるのです。
 今の時代、若い人たちは学習をはじめ生活を送るうえで、与えられることに慣れてはいけません。自らを鍛え、高めようとする不屈の魂をもってほしいと願っています。

『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜

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「愛の反対は?」
 先日の全校集会で、この言葉をきっかけに人権について話をしました。また、3日の伏見支部PTAの人権啓発の際にも同様の話をさせてもらいました。
 「愛の反対は、憎しみではなくて無関心です。」こう言ったのは、マザー・テレサという修道女です。「人権週間」真っ只中の今、私はこの言葉が人権問題を解決する重要なキーワードであると思っていますので、今回はテレサのことを中心に、私が彼女から学んだことなどについて綴ります。
 マザー・テレサは、1910年に生まれました。カトリック教会の修道女として神に使えますが、後年、『神の愛の宣教者会』という修道会を創立し、インドのカルカッタで厳しい生活を強いられてきた極貧の人々を支援する活動を始めます。その活動は後進の修道女たちによって全世界に広められました。その活動が高く評価されて1979年、ノーベル平和賞を受賞します。以下は、授賞式でのスピーチの一部です。
 私は皆さんが考えておられるようなノーベル平和賞の受賞者には値しません。でも、誰からも見捨てられ、愛に飢え、死に瀕している世界のもっとも貧しい人々に代わって賞を受けました。私には、受賞の晩餐会は不要です。どうか、その費用を貧しい人たちのためにお使いください。私に与えられるのは祈りの場だけしかないのですから。
 ノーベル賞を受けたことで、当時高校生だった私は改めて彼女のことを知りました。上のスピーチにも驚きましたが、2年後の1981年に彼女が来日した時のスピーチに、当時大学生であった私は大きな衝撃を受けたのをはっきりと覚えています。
 豊かで美しい国の中に心の貧しさがあること、特に人口妊娠中絶に対する厳しい批判は、大学受験を終えて楽しい生活を享受しつつあった私の心に突き刺ささりました。また、当時流行した「産まれたばかりの赤ちゃんをコインロッカーに置き去りにすること」に対して痛烈に批判し、「私に預けなさい」と述べたことも覚えています。
 インターネットのない当時、新聞や書物でテレサのことを調べて見つけたのが全校集会やPTA啓発の場で紹介したノーベル賞授賞式後の記者とのあのやりとりです。
記者:「世界平和のために、私たちに出来ることを教えてください。」
テレサ:「家に帰って、家族を大切にしてあげてください。」
○豊かそうに見えるこの日本でも、実は戦争をしている国と同じくらい貧しいということ。それは、日本が豊かであるがゆえに、人の心を気遣う気持ちが欠け、他の人を思う心がなくなってしまっているからだと思います。
○心の貧しさは、豊かそうに見えるこの日本でもあることに驚きました。食べ物を残さない。人をいじめないなど、身近なことからできると感じました。
以前にマザー・テレサを題材に行った道徳の授業の際に生徒が書いた感想です。
「愛の反対は…」今一度、この言葉の深さを考え直してみてほしいと思います。

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学校行事
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