最新更新日:2019/03/29 | |
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『授業の終わり&休憩時間』2年
4時間目の終わりから昼食時間にかけて、2・3年の各教室を回りました。
丁度4時間目が終わってすぐの教室です。 第一回支部親まなび委員会
H28.5.23 向島東中学校にて、伏見支部親まなび委員会があり、中部副会長と出席致しました。平成28年度支部スローガン「笑顔で!!優しさを運び、幸せを感じよう」に決定しました。第一回目から様々な中学校、独自なPTA活動の紹介があり、終始笑いが絶えない委員会でした。本年度、PTAの活動も地域や各家庭に笑顔を運べる活動にしていきたいと思えた委員会でした。
PTA会長 上田 広明 『南風、吹かせ!』〜Hot wind from Mukaijima〜
『楽しぃ生活しいや!』
年度末から父が入院しています。その時は、母と妹との区別がつかないほど意識が混濁もしていました。今だから言えますが、『始業式や入学式に休むことにならねばよいが…』そう思いました。今の医学は素晴らしいです。20日間ほどして集中治療室を出ることができ、普通病棟に移ってからは、身体のチューブが次々とれて、赤ちゃんの離乳食のような食事ですがとれるようになりました。今では、自分で食事も用便もできるまでに回復し、歩く練習を始めてもいます。ただ、体重は10キロほど減少し、すでに恰幅のよい父の面影はなくなりました。 土曜日と日曜日には必ず病室を訪れます。日曜日には妻と上の息子も一緒です。元々耳が遠いのでホワイトボードを使って筆談をするのですが、随分とコミュニケーションがとれるようになってきました。父は、自分の身体が重篤であるにも関わらす、常に家族のことを慮っています。「おばあちゃん(母)は疲れてへんか?」「陽太(二男)は元気にしてるか?」「家のことで色々と面倒を掛けるけど、学校の仕事は大丈夫か?」 病気からの立ち直りに気力が大切であることを思い知ったエピソードが2つあります。1つは、意識がしっかりとしていない時のことです。アメリカ留学中の二男には今回の入院のことを知らせていないので、帰国するまでによくなってほしいと言ったときです。父の表情が引き締まりました。もう1つはごく最近です。用便の失敗を繰り返すと、父自身が自信を喪失するので、それがしっかりとできるようリハビリを頑張ってほしいと言った時です。無言でしたが、強い決意がこちらに伝わってきました。 昭和5年生まれで86歳になる父は、将に激動の時代を生きてきました。敗戦を経験し、ひもじい思いをして成長期の青年時代を過ごしました。そして、働きに働いて日本の復興を支え、我が国を世界有数の経済大国へと導いてきた世代の人です。辛抱強く身体が丈夫で、学ぶことにも衣食住にも貪欲です。高度経済成長期に生まれた私は、働くことが家族と社会のためになるということを父の背中から学んできました。 先週のことです。仕事が立て込んでしんどい思いをしていました。学校経営のことや家庭のこと、そしてその両立についてプレッシャーも感じていました。病室を去ろうとした瞬間です。「清人、楽しぃ生活しいや!」父はそう言いました。「十分楽しくやってるで」そうは答えましたが、どうやら父には見破られていたようです。 帰りの車の中で涙が溢れました。翌日、息子が父の病室から出た直後に言いました。「ここへ来ると、不思議と“やる気”になるねんな…。」 ここまで回復したのは奇跡です。それならば、もっとすごい奇跡を起こしてほしいと願っています。「清人の退職の年まで生きて、オリンピックを見に行くんや!」3年前に東京五輪が決定したとき、父自身が立てた目標の実現です。 『今日も頑張れ!』
暑いですが、子どもたちはみな“いい表情”で登校してきます。
おやっ、見慣れない集団がスーツケースを引きずりながら向島駅の方に向います。 きっと向島東中学校の生徒でしょう。教から修学旅行でしょうか。気をつけて行ってきてください。 『今日も暑くなるぞ!』
おはようございます!
どうやら今日も暑くなりそうです。 既に日射が厳しいです。体調に注意しながら、何事にも思いっきり取り組みましょう。 『おまけ』
こんな写真が撮れることもあります。
誰も全く声を出さず、だから、まさか保健室の前でこんな写真が撮られているとは、中に居る人たちには気づかれなかったと思います。 『授業の様子』3年
3年からは音楽と英語と社会の時間の様子をトップへ持ってきました。
『授業の様子』2年
2年からは国語と分割数学の時間の様子です。
国語の時間にも「反復をもとにした知識定着のための取組」が実行されています。 『授業の様子』6組
育成学級は国語の授業の様子です。
『授業の様子』1年
2〜3時間目の授業の様子です。
1年からは3組の英語と1・2組みの体育から観てもらいます。 |
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