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最新更新日:2025/04/25 |
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「枝垂れ梅」![]() 「北校舎が木造と鉄筋」![]() このように学校や地域の写真や資料が残っていましたら,ぜひ,学校までお知らせください。よろしくお願いいたします。 「花菜のおすまし」![]() ![]() 「サクラソウ」![]() ![]() 「台杉の雄花・雌花」![]() ![]() ![]() 「今日は立春」
おはようございます。今日は立春です。季節を象徴的に示す季語としても良く使われますね。
旧暦では一年の始まりは「立春」からと考えられていました。そのため,立春を基準とした決まりや節目は今でも存在しています。その節目の一つが昨日の「節分」です。 節分は,立春を一年の始まりとした時の「大晦日」であるため一年の厄払いのために,豆まきをします。また,八十八夜や二百十日なども立春から数えています。 立春の早朝,禅寺では厄除けのために門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣があります。大徳寺でも貼られているのではないでしょうか。この文字は,縦書きすると左右対称になり一年間災難にあわないというおまじないです。 今日も3月の陽気になりそうです。このまま暖かくなるといいですね。 「ぽかぽか陽気」![]() ![]() ![]() 「節分献立」![]() 「今日は節分」![]() 節分につきものの「鬼はらい(やらい)」の行事は,中国の大儺(たいな)が源流(げんりゅう)で,おそろしい形相(ぎょうそう)の面をつけた呪師が疫鬼をおいはらう行事です。 日本では706年に,たくさんの人民が疫病で死んだので,土の牛をつくって,はじめての鬼払い儀式が行われたことが,「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記されています。 その儀式は追儺(ついな)といい,朝廷では鎌倉時代まで大晦日の夜に行ったそうです。 節分といえば豆まきですが,節分に豆で邪鬼をはらう行事が初めて行われたのは,室町時代の京都で,「看聞(かんもん)日記」の1425年の記録に記されています。 また,定番のかけ声の「鬼は外,福は内」は,「臥雲日件録」1447年に,立春前夜に家ごとに豆をまき,「鬼は外、福は内」ととなえたと記されています。 やがて江戸時代になると,春をむかえる厄払いの行事として,諸国の神社や家庭にひろまり,体を豆でなでて厄をうつしたり,歳の数だけ豆を食べたりするようになりました。 また,ヒイラギの葉がとがっていることから,「鬼の目突き」とよばれ,その先にイワシの頭をさして戸口にかかげると,邪気の侵入をふせぐとされています。 最近では,恵方巻(えほうまき)といって,節分に食べる太巻きがブームになっています。 節分の夜にその年の恵方(えほう→歳徳神の住む方角で,その年に吉となる方角)に向かって,目を閉じて願い事を思い浮かべながら,無言で太巻きをまるかじりするそうです。 ちなみに今年の恵方は南南東(南微東)だそうです。 恵方巻きの具材は何でも良いそうですが,七福神に因んで,かんぴょう,キュウリ,シイタケ,伊達巻,うなぎ,でんぶ,その等の七種類の具を入れるのが良いとされています。 現在の恵方巻の起源は,豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が,節分の前日に巻きずしの様な物を食べて出陣し,戦いに大勝利を収めたという故事を元にしていると言われています。 「サクラソウ」![]() |
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