最新更新日:2024/09/26 | |
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☆6年生 脱線だらけの歴史の部屋☆
今回は,聖徳太子(しょうとくたいし)【厩戸王(うまやとおう)】の時代から国政の中心となって活躍した蘇我氏(そがし)について書いていきます。
蘇我氏といえば,社会科の教科書P.26にある『大化の改新』での出来事が特に有名です。 その当時の日本は,蘇我蝦夷(そがのえみし)・蘇我入鹿(そがのいるか)親子が天皇よりも力を持って国の中心となって政治をおこなっていました。 そんな「蘇我氏中心の政治」を「天皇中心の政治」に戻したいと考えた,中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみの かまたり)は,蘇我氏から暴力を使って権力を奪い返しました。 この事件以降,蘇我氏の力は衰え,中大兄皇子や中臣鎌足が目指した天皇中心の国づくりが進められていきました。 しかし,『大化の改新』で政治が大きく変わりましたが,それまで蘇我氏が行ってきた政治の良いところは中大兄皇子たちの政治にも引き継がれていきました。 ここで気になるのは,蘇我氏の名前です。特に入鹿(いるか)は珍しく感じます。蘇我入鹿の先祖をさかのぼっていくと,稲目(いなめ)・馬子(うまこ)・蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)と特徴的な名前が並びます。 しかし,『入鹿』に関しては,歴史の表舞台から消された名前が残っています。実は,蘇我入鹿は中大兄皇子たちに殺されてしまうまでは,本名とされる『大郎鞍作(たろうくらづくり)』と呼ばれていたそうです。 蘇我入鹿の名前が変わってしまったのは,権力争いで負けてしまったからなのか,蘇我氏では歴代珍しい名前を付ける風習があったからなのかは,今現在では知ることは難しいです。 歴史を学習する時には,語られることの少ない「負けた側」の視点に立って歴史的な出来事を考察することも大切になってきます。 |
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