京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/07/05
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学校教育目標 『発信力・行動力を身につけ、自己肯定感を得られる生徒の育成』

「憲法月間」によせて

 今日の6時間目に、全校放送で、5月の「憲法月間」にちなんだ話をしました。以下はその抜粋です。
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「憲法月間」にちなんで

 1.「憲法月間」とは
・5月は「憲法月間」です。これは、5月3日の「憲法記念日」にちなみ、5月を私たちの社会生活の中心にある「日本国憲法」のことを国民みんなで考える月にしようと考え、定められたものです。今日は、「憲法月間」にちなんで、「日本国憲法」と皆さんの学校生活について、一緒に考えてみたいと思います。
・昭和22年(1947年)の5月3日に「日本国憲法」が効力を発しました。「憲法」は日本の国の最高の法律です。日本には、憲法以外にもいろいろな法律がありますが、社会の様々なルールを決めた全ての法律は、「日本国憲法」の目指すところと同じ方向を目指して作られています。
・「憲法記念日」や「憲法月間」があるのは、この機会に「日本国憲法」の内容を知り、「日本国憲法」が目指している社会を私たち一人一人が考え、自分たちがその社会を作る主人公であることを自覚する、そのことを毎年確かめるためなのです。

2.「基本的人権の尊重」とは
・憲法には3つの大きな柱があります。国の主役は国民であるという「国民主権」、戦争をしない、戦争のための武器を持たないという「平和主義」、そして「基本的人権の尊重」です。今日はその中の「基本的人権の尊重」について少し話したいと思います。
・憲法が効力を発した年、昭和22年の8月に発行された、中学校1年生の社会科「新しい憲法のはなし」には、「基本的人権の尊重」のことがこのように書かれています。

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 人間がこの世に生きていくからには、自分の好きなところに住み、自分の好きなところに行き、自分の思うことを言い、自分の好きな教えに従ってゆけることなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は決して奪われてはなりません。我々は人間である以上、みな同じです。人間の上にもっと偉い人間があるわけではありません。みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はないのです。この一番大事な人間の権利のことを「基本的人権」といいます。憲法は、この「基本的人権」を、侵すことのできない永久に与えられた権利として記しているのです。        
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・現在の日本の社会は、本当にこのことが実現できていると思いますか?全ての人が差別 を受けずに生きていると思いますか?
・残念ながら、社会には、どこで生まれたか、どこに住んでいるか、男か女か、国籍はどこか、肌の色は何か、病気や障害があるか、など様々な「差別」が今もなお存在しています。
・「憲法」で「基本的人権の尊重」が保障されているのにもかかわらず、なぜ差別はなくならないのでしょうか。

3.自分の生活の「いじめ」
・皆さんの日常生活ではどうでしょうか。身の回りに友人の「人権」を侵していることはありませんか?たとえば、学級や学年、友だちの中で「いじめ」や「仲間はずれ」はありませんか?
・ここで、昨年度の「全国中学生人権作文コンテスト」で「文部科学大臣奨励賞」を受賞した、徳島県藍住東中学校2年生の米澤拓也(よねざわたくや)君の作文を読んでみます。

《作文は省略》

・皆さんはこの作文を聞いて、どう感じましたか?皆さんの学校生活にこのような「いじめ」や「仲間はずれ」はありませんか?何気ない言動で悩んでいる友達はいませんか?
・「いじめ」や「仲間はずれ」を見たとき、皆さんは「いじめられる人にも問題があるのでは・・・」と思った経験はありませんか?「いじめるられる人」や「仲間はずれになっている人」に問題があるのでしょうか?
・先生は、「いじめる人」がいるから「いじめ」があり、「差別をする人」がいるから「差別」があるのだと思います。
・人間には「顔かたち」「体の特徴」「性格」など、人間の持っている様々な「ちがい」があります。その中には、「いいところ」もあるし、「良くないところ」もあります。それはあたりまえのことです。違いがあるから人間なのです。それをお互いに認め合うことが、一人一人が安心して生活するために必要であり、それが「人権」を尊重する第一歩であるのです。
・しかし人権の尊重は、憲法で守られているから守らねばならないのでしょうか。そうではなく、皆さん1人1人の生活は、皆さん自身が守っていかねばならないのです。この桂川中学校の生徒全員が「安心」した学校生活を送れるように、まず自分自身が今から何をすればよいのか、よく考えてみてください。
・正門を入ったところに「人を大切に 物を大切に 時を大切に」と刻まれた石碑があります。これは桂川中学校の学校教育目標です。「人を大切に」の意味をもう一度考えてみてください。
 これで先生の話を終わります。
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 いじめや差別は、人の命をも奪ってしまうことになる恐ろしい行為です。生徒の皆さんは、自分の周りにもしそんなことが行われているのなら、それを止めるか、できなければ、先生や両親や大人の人に相談して下さい。小さな「いじめの芽」お摘み取ることが、1人1人の人権を守り、みんなが幸せな生活を送ることに繋がります。勇気を持って一歩を踏み出して欲しいと思います。
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修学旅行を終えて・・・その9

 伊江島のシンポル「城山(ぐすくやま)」です。私は山に3回登りましたが、島全体が360度見渡せ、とても素晴らしい景色です。
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修学旅行を終えて・・・その8

 空襲や米軍から隠れるために潜んだニャティヤ洞です。戦争の傷跡ですね・・・。
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修学旅行を終えて・・・その7

 村の花はテッポウユリです。4月17日は「第15回伊江島ゆり祭り」が、伊江島リリーフィールド公園で開催されていました。見事なテッポウユリの群生です。
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修学旅行を終えて・・・その6

 伊江島での思い出は、生徒たちの心の中にいっぱい詰まっていると思いますが、私が島で撮影した写真の何枚かを紹介します。

1枚目・・・伊江島全景(城山)
2枚目・・・芳魂之塔
3枚目・・・芳魂之塔の碑銘

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修学旅行を終えて・・・その5

 伊江島に渡るには、船が必要不可欠です。船に乗ると、島に渡るまでのワクワクした気持ち、そして別れのときの涙、色々な思いが心の中にわいてきます。

《船での出合いと別れ》
 伊江島までは約30分間の船旅です。船が本部港を離れると、「さあ、いよいよ伊江島が近付くぞ!」というワクワク感が心にわいてきます。本部大橋をくぐると、前方にシンボルである城山(ぐすくやま)の景色とともに、伊江島の島影がはっきりと見えてきました。半分ほどの地点で船が大きく揺れ、船上の荷物(コロコロ付)が左右に転がります。強風と外海の揺れに悩まされ始めたころ、港に到着しました。わずか30分とは言いながら、沖縄本土を離れ、遠くまで来たなという印象です。ちなみに、本部港午後5時発のこの船が今日の最終便です。折り返しもなく、明日の朝までは島から出ることはできません。そんな気持ちが心の隅にあるからかもしれませんが、港に出迎えていただいた地元の方に用意していただいた『歓迎 京都市立桂川中学校』の横幕が、まるで自分の家に帰ってきたような印象を受けました。
 伊江島での3日間を終え、いよいよ島を離れる時がやってきました。お世話になった民家の方ともお別れです。3日間の思い出で胸がいっぱいになり、涙を流している生徒たちもたくさんいます。船に乗り、いよいよ出港というとき、大きく手を振り別れを惜しむ姿、船での別れというのは胸が詰まります。ほんの30分ほどの距離ですが、そこに”海”が存在します。陸続きの場所ならば、「いつでもすぐに戻れるかな」という気持ちがあり、そこまでの感動はわいてこないのかもしてません。海を渡るというのは、ひょっとしたら、周りが海で囲まれた島に住む日本に住む我々にとって、とてつもない大きいことなのかもしれません。もしかしたら、遺伝子の中に大昔から刷り込まれてきたかのような・・・。(ちょうっと大げさかも)「民泊は島がいい」という思いが確認できる姿でした。そして別れるときの横幕は「いってらっしゃい」、またこの島に帰ってきてほしいという思いが込められた別れでした。
 人はその場面によってその気持ちが変化します。いつもと同じことをすることによる安心感、いつもとは違った経験をする不安感、そんな思いが交差するのがこの修学旅行なのかもしてません。そこに”船”があることで、その気持ちの変化が大きくなるのでは・・・。生徒たちの流した涙、それは人間として素直な感情が際立った瞬間だったのでしょう。そんな経験を多く重ねることが、人間としての「やさしさ」や「思いやり」を深めてくれるのではと感じました。何人の生徒が、「ただいま!」という気持ちで、再びこの島を訪れるのかな・・・と期待しています。
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修学旅行を終えて・・・その4

 今回の修学旅行の最大の目玉は、民家に泊まる=民泊でした。普段は、自由に過ごしている生徒たちが、どんな表情、どんな態度、どんな行動で地元の方と2泊を過ごすのか、最初は心配が強かったのですが・・・。

《民泊の意義》
 ほとんどの生徒たちは、特に不自由なく、思うがままに、家族に守られて生活を送っています。不自由な事、気を使うことが少ないのが今の生徒たちの実態ではないでしょうか。そんな生徒たちが、初めて出会う伊江島の方の家に泊まり、そこで一緒に生活をする・・・我々にとっては、そこから何かを得てほしいという期待感がありましたが、やはり不安が強かったように思います。
 伊江島に到着し、開村式で初めてお世話になる地元の方と出会ったとき、ほとんどの生徒は「不安」がいっぱいの表情をしていました。気の合った友人と一緒とはいえ、やはり初めての経験が不安を大きくしていたのでしょう。しかし地元の方は、笑顔を絶やさず、温かい雰囲気で生徒たちを迎え、琉球舞踊で歓迎していただきました。お世話になる方と一緒に開村式の会場を出るとき、先ほどと比べて不安が少なくなったことでしょう。
 その夜、一番不安だったのは引率した教職員でした。「失礼な事をしているのではないか」「指示に従わずに勝手に外へ出歩いているのではないか」「体調が悪くても伝えられないのではないか」「好き嫌いの多い子は、沖縄の食事を食べられるのだろうか」「発熱やぜんそくがでているのではないか」等、心配なことだらけでした。やはり目の前に生徒たちがいないことが不安でした。
 2日目、教職員はグループに分かれて自転車と車に別れ、生徒たちの活動に出会うために、島の各地を縦横無尽に走り回りました。そこで出会った生徒たちの表情は、我々の不安を一掃してくれました。どの生徒も「楽しいよ!」「食事がおいしくて、食べ過きれなかった」「家の人がとっても良くしてくれる」と出てくるのは笑顔と感謝のみです。きっと温かいおもてなしをしていただいているのだと感じました。またいくつかのグループの生徒は、その家の子どもたちと一緒に行動していました。ちょうど土曜日で学校が休みだったので、お手伝いがてら”子守”をしていたのか、遊んでもらっていたのか・・・。和やかな雰囲気でした。
 そして最終日に別れの港で出会ったときには、どの生徒も、その家の子どもになったようで、涙ぐみながら別れを惜しんでいました。
 人と人とが信頼し合い、つながりあうには、どれだけ長い時間一緒にいるかということと、どれだけ充実した時間を一緒に過ごすかということにかかっていると思います。そんな意味では、生徒たちは伊江島の方と、本当に”濃い3日間”を過ごしたのだと感じます。本当に素晴らしい経験をさせていただきました。伊江島の皆さん、ありがとうございました。
 しかし、伊江港から船が出港し、見送りの方の姿が見えなくなったとき、生徒たちはまたもとの顔に戻り、アメヤガムをぺちゃくちゃ食べ、自販機でジュースを買って飲んでいました。この修学旅行での体験が、これからの生活にどう反映しするか、一過性の”イベント”に終わらせてはだめだと思いました。
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修学旅行を終えて・・・その3

 沖縄は日本のリゾート地として、マリンスポーツやダイビングのメッカとなっています。これから観光客がたくさん訪れ、沖縄を満喫する最も良い季節を迎えます。しかし、今から65年前に何があったのか、絶対にそれを忘れてはいけません。

《伊江島とは?》
 伊江島は沖縄本島の北西約9kmに位置し、面積は22.77平方km、人口は4845名の一島一村の島です。島の中央には標高172.2mの城山(ぐすくやま)がそびえ、山頂からは島全体が一望できます。また、サトウキビ・タバコ・花木の栽培が盛んで、ブランド牛の”伊江牛”が飼育されています。
 そんな穏やかでのんびりした伊江島は、65年前、戦争の真っただ中に位置していました。1945年4月の米軍の攻撃で、島は地肌がすべてむき出しになり、形を変えてしまうほどだったといいます。米軍の島上陸から6日間の戦闘で、4700人余の日本兵が戦死しましたが、うち1500人は日本軍の兵器を持たされた民間人だったと推定されています。当時の島の人口約7000人のうち、約3000人が本島へ避難していたので、島に残っていた4000人の実に4割近くが犠牲になったことになります。逃げ場を失った住民は洞くつ(ガマ)に隠れましたが、島東部のアハシャガマでは20世帯以上、約150人が避難していたところへ米軍に追われた日本軍が合流したため、軍の持つ急造爆雷で家族ぐるみの自爆を余儀なくされ、一瞬にして100人以上の命が失われたともいいます。米軍に捕らえられた住民が日本兵に連行されて斬殺された例もあり、伊江島の戦闘は「沖縄戦の縮図」と言われています。
 そんな悲惨な運命をたどってきた伊江島の東側は、現在も在日米軍の「伊江島補助飛行場」があり、島の面積の約35%を占めています。私も伊江島灯台まで行こうと車を走らせていましたが、なんとその行き先をフェンスが阻んでいました。灯台はフェンスの向こう側にあり、たどり着くことができませんでした。訪れる我々にとっては、過去のものとなっている「戦争」が、島の住民にとっては”今”も続いているののだと感じました。
 生徒たちはグループごとに、戦死された方が慰霊されている「芳魂の塔」の前で平和セレモニーをしていました。しかし、黙祷している生徒たちは、そのとき何を考え、何を思っていたのか・・・私たち教師も知らない戦争を、はたして生徒たちにどう伝えるべきか。後ろから生徒たちを眺めていてそんな事を感じました。民泊でお世話になっている”おかあ”は、「自分たちも戦争を経験していない。経験したおじい・おばあも高齢になっているし・・・」そんなことを話しておられたのが印象的でした。


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修学旅行を終えて・・・その2

 2回目はバスの中のガイドさんの存在についてです。一生懸命案内をしてくれるガイドさん、それを聞く生徒たち・・・

《バスの中》
 修学旅行での楽しみは色々ありますが、バスガイドさんとの交流はとても印象に残ります。自分が高校生のとき、九州方面へ修学旅行に行きました。3日間、同じガイドさんに接し、その優しい話し方から、「あこがれ」や「ほのかな思い」を感じた事を覚えています。旅行後も、写真を送ったりして、何度か手紙の交流もありました。旅行の楽しさの幅を広げてくれたと思います。
 今回は、学校から伊丹空港、那覇空港から本部港の往復のみバスを利用しただけで、一番長く接したガイドさんでも、那覇空港と本部港往復の3時間程度でした。その間ガイドさんは、沖縄の歴史や文化、特に今でも沖縄に大きな影を落としている戦争・基地のことなど、一生懸命に話してくれました。でも残念だったのは、高速道路上を走っている時は、安全のため、ガイドさんも着席して前を向いて案内されていたことです。もちろん安全第一ですから、もしもの時を考え、シートベルトを着用することは必要です。しかし、案内をしてくれているガイドさんの顔が見えないことは、その思いを十分に感じることができず、ついつい話を聞き流してしまっているのです。
 コミュニケーションという言葉がよく使われます。人と人が交流するには、”聞く”事だけでは十分ではないのだと思います。その人の思いを感じ、自分の思いを伝える。人間同士のコミュニケーションには、五感が欠かせないのです。見て、きいて、臭いで、触れて、味わって・・・それらの組み合わせが多いほど、コミュニケーションは深まるのだと思います。私は集会のとき生徒たちに向かって、「話は目で聞く」ということをよく言います。「思いを伝え、思いを受け取る」そんなコミュニケーションをこれからも積み重ねていってほしいと思いました。

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修学旅行を終えて・・・その1

 4月16日(金)〜18日(日)の2泊3日の日程で、3年生は沖縄・伊江島への修学旅行に行きました。初めての飛行機、初めての沖縄、初めての離島、初めての民泊・・・初めてのことばかりで少し面喰いながらも、貴重な経験ができたと思います。この修学旅行に同行して、感じたこと、思ったことを随想形式で何回かに分けて掲載したいと思います。その1回目は、飛行機に乗って感じたことです。

《飛行機内での変化》
 今回は、沖縄への旅行ですから、当然往復飛行機(ANA)を利用しました。修学旅行を引率するのは、今回で10回目ですが、飛行機を利用したのは、去年に続いて2回目です。今回飛行機を利用して、去年と違っているいくつかのことを感じました。4月1日から、飛行機内のサービスが変わりました。去年は、座席には必ず音楽を聴くためのイヤホンがありましたし、離陸後しばらくして飛行機が安定すると、CA(キャビンアテンダント、以前はスチュワーデスでした)の方が、生徒たちにも飲み物をサービスしてくれました。雑誌や新聞も自由に読むことができ、退屈しないようにとの配慮もなされていました。しかし、今回は、イヤホンは希望者のみCAに頼んで貸してもらい、飲物サービスはなく、有料で提供されます。新聞や雑誌も機内には見当たりません。どこの航空会社も不況の影響を受け、このような機内サービスを廃止したとのことでした。
 サービスというのは、それをいったん受けると「当たり前」になってしまいます。そして以前よりもっと手厚いサービスを求めたり、サービス内容を他と比較してそれを基準に飛行機を決めたり、もし廃止されたら悪い事のように・・・。人間というのは本当に我儘なものなのですね。「不易と流行」という言葉があります。「守るべきものは頑固に守るが、変えるべきことはどんどん変える」という意味です。サービスは”不易”なのか”流行”なのか。一番大切なのはサービス?それとも安全?そんな事を改めて考えさせられました。そんな中でも、CAさんの笑顔と応対の温かさだけは、”不易”でした。そんな笑顔に厚かましく甘えて、行きも帰りも「お試し期間」の無料コーヒーを頼んでしまいました。
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学校行事
5/21 1年心電図
5/24 教育実習開始(〜6月11日) 2年内科検診
5/25 3年学習確認プログラム(1日目)
5/26 3年学習確認プログラム(2日目)

学校評価結果等

学校カレンダー

学校配布プリント

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