学校日記

【校長室から】沈まぬ太陽①

公開日
2026/09/19
更新日
2026/09/19

校長室から

文化祭を終えた瞬間、雲間から太陽が差していた。


学校では、一年を通してさまざまな行事を行う。入学式、遠足、体育祭、探究基礎発表会、宿泊研修(いわゆる修学旅行)、卒業式など。中でも、堀川高校の文化祭は、年間を通じたイベントの中で、最も大きな取組の一つとされている。教室が、廊下が変わる。いつも授業が行われている空間に展示物が運び込まれ、アトリウムにはコンパネを敷き詰めた舞台が組まれ、衣装を身につけた生徒が行き交う。放課後には、校舎のあちらこちらから声が聞こえる。何度も台詞を繰り返す声。音楽を合わせる音。何かを切り、貼り、組み立てる音。文化祭が近づくにつれ、学校全体が少しずつ、普段とは違う表情になっていく。今年も、新たなチャレンジがいくつもあった。


堀川高校の生徒は「本番に強い」と思う。舞台に立てば堂々とし、予想外のことが起こっても、その場で考え、仲間と相談し、何とか形にしていく。文化祭だけではない。探究活動でも、部活動でも、学校外での発表でも、ここぞという場面で力を発揮する生徒たちを何度も見てきた。しかし、本当は「本番に強い」という言葉だけでは不十分である。その背後には、「準備」がある。何度も話し合う。練習する。失敗する。やり直す。予定が首尾よくいかず、方法を変える。誰かが不在となれば、別の誰かが役割を引き受ける。華やかな本番の時間よりも、むしろ、そこに至るまでの地道な時間の方がはるかに長い。その準備の限りを、最大限の集中力を持って本番に臨む。だから、「強い」のだと思う。


校内を歩き、文化祭の準備を見るともなく見る。人が集まれば、葛藤が生まれる。何かを一緒に創造しようとすれば、揉めごとも起こる。Aを優先したい者もいれば、Bの方が大切だという者もいる。もっと完成度を高めたい者もいれば、時間との折り合いをつけなければならないと考える者もいる。一生懸命になればなるほど、その想いは別の想いとぶつかることもある。協働とは、いつも笑顔で全員の意見が自然と一致することではない。むしろ、一筋縄ではいかないジレンマや対立を抱えながら、それでも一つのものをつくろうとする営みといえよう。文化祭では、金賞をはじめ、さまざまな表彰がある。金賞を獲得したクラスには、心から「おめでとう」と伝えたい。さまざまな賞を受けたクラスや団体、個人にも、ここまで積み重ねてきた道のりに、大きな拍手を贈りたい。けれども、金賞を獲得することや、表彰を受けることそのものが「目的」ではない。それらは大切な「目標」ではあっても、つまり、「手段」であって「目的」ではない。では、目的とは何だろう。


学校行事だけに限らない。学校で行われるさまざまな営みの中で、私たちは時として、手段と目的を履き違えそうになることが、ありはしないか。成績を上げること。大会で勝つこと。合格すること。賞を取ること。もちろん、どれも価値ある目標である。やるからには、本気で目指そう。しかし、それらが何のためにあるのかを見失った瞬間に、手段は目的へとすり替わる。人の世において、「手段と目的の逆転」は頻発する。大人もそう。いや、大人こそそうなのかもしれない。本来、理念を達成するための仕組みが、仕組みを守ること自体が目的と化してしまう。誰かを成長させるための活動が、活動を続けることそのものに置き換わってしまう。結果を出すための努力が、いつしか結果だけを求める営みになっていく。そうした手段と目的の履き違えだけはしたくない、と決意するが、果たして太陽は、私たちをどのように見ているのだろうか。


船越 康平