ちょっといい話—147—
- 公開日
- 2013/12/13
- 更新日
- 2013/12/13
学校の様子
今日は寒さが一段と厳しく感じられます。各地で雪が降っているようですが,京都市内でも今季初の雪が見られるのかもしれません。
昨日,今年1年の世相を表す漢字一字が決まりました。「輪」だそうです。2020年の東京五輪・パラリンピックの開催決定や,各地で相次いだ台風災害,東日本大震災への支援の輪が広がったことが主な理由だそうです。
そのオリンピックにまつわる過去の粋な話を紹介します。寒い日にピッタリな心温まる「ちょっといい話」を紹介します(「心震える話」より)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『55年後のゴール』
日本の「マラソンの父」と呼ばれる金栗四三(かなぐり しそう)さん。1912年(明治45年)にスウェーデンのストックホルムオリンピックに出場するも,トラブルで行方不明扱いに・・・。そしてその後・・・。
国内で世界記録を20分以上も塗り替えるような記録を出しながらも,本大会では日射病で倒れ,行方不明扱いにされてしまった。日本の期待を一身に背負いながら,それでも走りきれなかったことで,深い自責の念に駆られた。それでも日本のマラソンの発展のために50年間尽くしてきた。
1967年,ストックホルムオリンピック委員会から,「オリンピック55年祭」が開催されるので来てもらえないかという連絡が届いた。式典後,当時のコースを懐かしげに辿る金栗。そして,55年前にたどり着けなかったスタジアムに足を踏み入れた。
何故かそこには観衆と役員,そしてゴールテープ・・・。思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った金栗。
『日本の金栗がただ今ゴール。タイムは55年・・・。これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました!』
上記のような粋な出来事が起こったいきさつを,以下に説明します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『文中に金栗選手が日射病で倒れ行方不明扱いになったとありますが,これは金栗選手のコンディションが万全でなかったことや,過酷な競技環境によるものだったようです。
当時,日本からスウェーデンへの移動は船と列車で20日もかかる長旅でした。その旅の疲れと,スウェーデンの夜の明るさからくる睡眠不足で,金栗選手のコンディションは万全でなかったようです。更に米もなかったので食事面にも支障があり,その上マラソン当日に迎えにくるはずの車が来ず,金栗選手は競技場まで走っていったそうです。また,競技当日は40度という記録的な暑さで,参加者68名中およそ半分が途中棄権するという過酷な状況でした。
以上のような様々な悪条件から,金栗選手はレース途中,日射病で意識を失って倒れ,近くの農家で介抱されていたそうなのですが,意識を回復したのは翌日の朝のことであったため棄権の意思がオリンピック委員会に伝わっておらず,金栗選手は行方不明扱いになってしまいました。
そして後年,「オリンピック55年祭」を開催するために当時の記録を調べていたところ,金栗選手が棄権ではなく「行方不明扱い」になっていることにオリンピック委員会が気付き,54年と8ヶ月越しのゴールインが実現したそうです。』
54年8か月6日5時間32分20秒3という記録は,世界一遅いマラソン記録であり,今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われています。