学校日記

ちょっといい話—140—

公開日
2013/09/10
更新日
2013/09/10

学校の様子

 9月7日(日本時間8日)のIOC委員の投票で、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決まりました。早朝のニュースで、歓喜に沸く招致委員の人たちの顔には充実感が漂っていました。その中で、最後に行われたプレゼンテーションが、逆転につながったともいわれています・・・。
 特に、パラリンピックの選手である佐藤真海さんのプレゼンテーションに感動しました。佐藤さんは、大学時代に骨肉腫で右膝から下を切断しました。東日本大震災では宮城県気仙沼市の実家が津波の被害にも遭いました。失意のどん底にあった佐藤さんに、生きる希望を与えてくれたのがスポーツでした。人に希望を与えるスポーツの意義を訴え、オリンピックが日本にとってだけでなく、世界にとって重要だ、というメッセージを出したことは、IOC委員の心をつかんだと思われます。

 以下に佐藤さんのスピーチ(日本語訳)を紹介します。
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       【パラリンピック女子走り幅跳び代表・佐藤真海】 

 会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。
 私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。 

 19歳のときに私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました。もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。
 でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。
 そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。

 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。
しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。
 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。

 そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています。
 私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。