現実を変えるのは・・・
- 公開日
- 2010/07/21
- 更新日
- 2010/07/21
学校の様子
全校集会で皆に話をした「現実」とは、世の中の事であるとか社会の出来事とかも含まれているけれども、それよりももっと身近な自分自身と直接関係すること、言えば「生き方」そのものです。
「その事を知っていたら、こんな事しなかったのに・・・」とか、「その事を知っていたら、こっちを選んでいたのに・・・」と知らなかったことを悔やむ事は誰しもあると思います。その「知っていたら・・・」という裏には、「知っていた人」は悔やまずにすんだという事を暗示しています。それでは「知っていた人」はその事をどこで、どのようにして知ったのでしょうか。そこが「知っていた」「知っていたら・・・」の分かれ目です。
それでは同じ中学生で同じ学年の生徒同士で「知っていた」「知っていたら・・・」の分かれ目はどこから生じるのでしょうか? 学校では生活体験もよく似たことをします。勉強も同じ内容の授業を受けて共同生活をしています。分かれ目があるとしたら、学校ではなく、家庭や地域で過ごす個別の生活体験からくるものかもしれません。1年間を通して個別の生活体験からくる違いはどこから生じるのでしょうか。それは夏休みや冬休みといった長期の休みの過ごし方からかもしれないのです。長期の休み中は学校という枠や時間から解き放たれ君たちは自由になります。「自由」は聞こえが良いです。目の前に自分を制約するものがありません。一方で、制約されると窮屈さを感じます。しなくてはならない事が目の前に現れると「しんどさ」を感じます。しかし「しんどさ」を皆が乗り越えると一人ひとりに分かれ目や「違い」は生じません。みんな同じ事を成し遂げたわけですから。「自由」はどうでしょうか。自由ですから別に、しても、しなくても問題ありません。しかし「する人」と「しない人」に「知っていた」「知っていたら・・・」の分かれ目が生じるのかもしれません。そこが「自由」の怖いところです。自由はもろ刃の剣なのです。
さて、その自由な夏休みに本を読んだり、学習に積極的に関わる時間を計画するなどして知識を獲得する事に努めたり、また家庭のお手伝いや地域のお祭りなどに関わったりすることは、何かしら新しい自分自身への変化に繋がり、現実を変えます。それは成長といって良いかもしれません。とくに3年生にはその現実を意識する時期に入ってきます。
夏休みは34日間あります。その34日間をあなたはどのように過ごしますか?
<校長室だより 第8号より掲載>