バージョンアップの視点
- 公開日
- 2014/05/23
- 更新日
- 2014/05/23
校長室から
この間,べル着点検で昨年度からバージョンアップが図られたと書いたが,バージョンアップは次回からだという指摘を受けた。視点を変えたことをバージョンアップだと書いた。その例として,昨年度までは座っていることを点検したが,バージョンアップでは,座っていることだけではだめで,次の用意をして座っていることだという話であった。しかし,今回は座っているという視点で点検を行ったということだ。あの話は架空の話であったということである。はたしてそうなのであろうか。
1年生は,はじめてであったことから,座っていればという視点だけであったとしても,2,3年生は昨年度,座っていればという視点で点検をしてきているのである。今回も本当にその視点だけで点検をしたのだろうかという思いがしてならない。というのも,何度か言ったが,今春,朝読書が激変したのである。朝読書の時間自体が誰も点検はしていないが,バージョンアップしているのに,他のことはしていないということがあるだろうか。あるところがアップするということは,おそらく他のところもアップするのが本来の姿であるように思う。集会における並び方から,話の聞き方まで,これらも昨年度よりアップしている。おそらく,相対的にアップしていることだと思う。とするならば,べル着点検とて,2,3年生は,単に座っているだけだっただろうかと考える。何らかのアップは図られたものと思う。
点検の視点がバージョンアップすることはもちろんだが,生徒個々人がそれぞれ,主体的にバージョンアップを図っていると考えるのがごくごく普通の自然の見かたではないだろうか。昨年のそれとは違っているものと思っている。
また,同じ座っているという視点でも,1年と2年,さらには3年とは違うと思う。それぞれ学年が上がることでもバージョンアップは図られていると見るのが妥当だと思う。
形式的だけで見ることは一見客観的に見ているように思うが,それでは,3年生に失礼であるし,2年生にも失礼である。新入生と同じ視点ならばである。パーセントで割り出していたが,逆に同じ視点であっても,1年生の100%と3年生の100%の意味合いは違ってくるのである。それでなければ意味がないように思う。また,それぞれの学年が,主体性を持って,どの視点でということを決めてバージョンアップを図るのも一つの手かもしれないと思う。