日曜の朝の雪
- 公開日
- 2014/01/20
- 更新日
- 2014/01/20
校長室から
日曜の朝一面が銀世界であった。その朝は人出もなく,新雪を踏みしめる足音だけが響くような朝であった。本当に久しぶりにゆっくりとした朝であった。平日ならバタバタしなければならないのに,雪にも心の余裕が感じられるものであった。
『徒然草』の31段に「雪のおもしろう降りたりしあした」という段がある。内容は,ある人のもとへ言わなければならない用事があって,手紙を送る際,降った雪のことを話題にしなかったところ,その返事にこの雪のことを言わない,そんな風流を解しない方のおっしゃるようなことは聞き入れられません,情けないことですということが書かれていたことが面白かったとあり,結びには,今はもう亡くなった人ゆえに,こんなことも忘れられない,とうことである。
今ならどうだろうかと思う。メールで,伝えることだけを伝えるだけで,雪のことなどほぼ言わないように思う。昔は,手紙をしたため,時候の挨拶や今の様子や話題などを少々書いて,本来の内容に入っていくのだが,何か,昔なのに,現在のメールのようなやり取りをしていたのだろうかと思えて,少し面白く感じた。
明治に入るまでの日本は,直接議論とか話し合うとかいうことはほとんどなかったのである。手紙のやり取りで筆談を交わしたのである。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」だっただろうか,木屋町辺りにいる薩摩や長州の人たちも隣の家にいるのに,手紙でやり取りをしている場面がある。単に声が聞こえてはまずいとかそういったものではなく,その間の手紙のやりとりをおこなう人がいて,その交換が行われているのである。そういった世界であったがために,ちょっとしたことをまず書くという,きめ細やかな日本人の心持が育ったものだと思われる。
季節季節のいろいろな出来事を観察しなければ,人とのやり取りができなかったのが現実であろう。久しぶりに雪が降っても,休みの朝ならゆっくりとそれに思いを馳せることもできるが,それ以外の日なら,このやっかいなものが降って,積ってと思っていただろうと思われる。