さりげなく
- 公開日
- 2013/09/06
- 更新日
- 2013/09/06
校長室から
朝,校内を回っていると,あるクラスの黒板に,担任の先生がクラスに当てたことが書かれてあった。いいところや課題となるところ,日々の思いから合唱コンクールの練習等々である。前日の放課後,いろいろな思いを担任が言葉にしながら書いている姿を,生徒たちが想像してくれればなと思いながら読んでいた。
なかなかのアイディアであると思う。というのも,そのようなことを続けていくには,何よりもクラスへのするどい観察眼が必要であるとともに,その意義づけもしなければならない。私はただその黒板を見ているだけなので,担任がその話を朝にしているのか,していないのかどうかもわからないし,生徒たちにその反応を尋ねもしていないので伝えられない。しかし,話として伝えられないことでも,黒板に書くことで伝えられることもあるし,いろいろな手を駆使して,生徒に伝えようとすることは大切なことである。
以前の学校でも,よく忘れ物をする生徒がいるとき,どんな伝え方をしているのかと尋ねたことがある。終わりの会できっちりと言っていますと,胸を張って言う担任がいた。それは,担任がしっかりと言っただけで,生徒がしっかりと聞けたと勘違いしているのである。忘れ物をするということは,担任の責任なのである。よく忘れ物をする生徒がいるならば,言ったことを,その生徒の再度言わせるとか,メモを取らせるとか,端の人が聞こえてないかもわからなので,再度言ってあげてとか,生徒に見合った取組が必要なのである。それがきっちりと伝えるということなのである。
きっちりとではあるものの,さりげなくというのがいいように思う。生徒の心に染み込ませる指導こそが,大切な指導であると思っている。やいやい言わないが,ちゃんと自分たちのことを見ていてくれる担任ほど,心強い担任はいないだろうと思う。担任は,どんな担任になろうとするのか。今までの現場で見てこられた先輩方や,現在校での同僚からとか,本で読んでとか,いろいろなものが合わさって,理想とする担任の姿ができてくる。そして,そのために,どのような指導を積み重ねていくことが必要なことかを考え,進めていくのだろう。すんなりとはいかないが,思考錯誤しながら,実践を積み上げていくものである。
マイブームの大村はま先生の『灯し続けることば』の中に,つぎのような言葉ある。「伸びようという気持ちを持たない人は,子どもとは無縁の人です」