学校日記

自主・自律

公開日
2013/08/07
更新日
2013/08/07

校長室から

 とりわけ暑い夏である。各学年の学習会をはじめ,部活動,生徒会のリーダー研修会といろいろな取組が続く。切れることのない活動とそれを支える教職員の方々には,休む間もなくという感じで,ありがたい。
 昨日もリーダー研修会があったが,大宅中学校では,多くの活動に有志の参加が認められている。きのうのリーダー研修にも,各クラスの評議員とは別に,2年生では17名,1年生では5名の有志が参加してくれていた。さらに,生徒会活動をしていた卒業生も参加してくれていたようだ。これはすごいことだ。
 内容としては,以前にも話題に出したが,学校改善計画についての話合いであった。昨日は1日の出張であったために,どのような議論が尽くされたのかは分からない。20のテーマについて,話合いを行い発表をしたように聞いている。こうした問題を考えるためには,学校という集団ではあるものの,個人がすべきことと,クラスや学年,学校としてすべきことと分けて考えなければならない。集団生活ではあるものの,それを支えているのは個であるからだ。また,個の取組が集まって,集団としての力が発揮できるものでもあるからだ。例えば,雨の日,校舎に落ちている水滴で,靴下が濡れるので,マット(シート)をひいではどうか?というテーマがあったが,まずは,誰もが傘の水滴を落とすことをしなければならない。水滴が廊下に落ちることを少しでも食い止める手段が必要であるからだ。基本ベースがあって,次に何が出てくるかである。
 集団生活は,集団として気持ちよく生活するためには,個人としての制約も出てくることもある。もちろん,犠牲になる必要はないが,辛抱ということもありうるということである。そのことを飛ばして,自分の主張や思いばかりが先行すれば,まとまるものもまとまらなくなる。そのさじ加減を学ばなければならない。微妙なさじ加減をうまくすることで,全体のまとめとし,個人の犠牲をできるだけ少なくしていくことが肝要なことだと思う。そして,何事も楽しいもの,気持ちの良いものにするかしないかは,自分たちの自主,自律にかかってくるだろう。自らが,前に出て積極的に出ていくとき,辛抱とか制限されている思いは払拭されるのである。自らが前に積極的に出ないとき,何かをやらされているような,つまらない思いが心を過るのである。