おおきに
- 公開日
- 2013/07/03
- 更新日
- 2013/07/03
校長室から
修学旅行で行った大分の方言で「おおきに」(ありがとう)という言葉があった。安心院の民泊で生徒たちも使っていた。関西で使われている言葉と同じ意味合いであった。どう伝わったのかというと,柳田國男の方言周圏論がある。彼の『蝸牛考』という著書がある。
蝸牛とは,いわゆるカタツムリで,デデムシ(近畿)→マイマイ(中部・中国)→カタツムリ(関東・四国)→ツブリ(東北・九州)→ナメクジ(東北北部・九州西部)の順で分布している。最も新しい言い方がデデムシで最も古い言い方がナメクジである。もともと京都ではナメクジと呼んでいたが,ツブリ,カタツムリ,マイマイと言い,デデムシが一番新しい言い方として残っている。このように,おそらく,「おおきに」も関西で使われていたものが伝わっていったと考えられるだろう。「おおきに」が九州でどのように部分しているのかを方言地図で調べれば推測がつくだろう。
さて,その「おおきに」であるが,使い方はちょっと違うだろう。京都では「おおきにありがとう」という言葉の「ありがとう」を省略したもので,明治以降に広まった。その「おおきに」の意味は,サンキュウとノーサンキュウとが同居しており,あの夏目漱石も失敗したのである。
漱石はよく京都にも逗留したのだが,御池大橋西詰め南側にある漱石句碑がある。句碑には,
木屋町に宿をとりて川向うの御多佳さんに 春の川を 隔てゝ 男女哉 漱石
と刻まれている。
この多佳とは,磯田多佳といって,祇園新橋で「大友(だいとも)」という店を構えていて,多くの文人との親交があった。その一人に漱石もいた。その漱石が,多佳に北野の天神さんへ行こうと誘ったが,その時の多佳の返事が「おおきに」であった。先にも書いたが,ノーサンキュウで使ったが,漱石は了解してくれたものと取ったため,待てど暮らせど多佳は来なかったという。本来,多佳が「おおきに,ほんまによろしおすか」と言えば,「ほんとうにお伴させてもらっていいのですか,迷惑ではないですか」となり,行ったであろうに,「ほんまによろしおすか」という言葉は,多佳からはでなかったのである。