学校日記

拠り所

公開日
2013/07/01
更新日
2013/07/01

校長室から

昨日は,夏越の祓いであった。岩屋神社にも茅野輪が設けられ,岩屋保育園の園児たちもくぐって,今年前半の半年間を清めていた。有名な百人一首にも詠まれた「風そよぐ楢の小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける」(従二位家隆『新勅撰集』)は,まさにこのみそぎの歌なのであるが,旧暦のため,本来なら8月の上旬ごろにあたる。
 28日には,大宅社会福祉協議会による,大宅小学校で七夕飾りの催しが行われた。2年生の子どもたちも参加して行われたが,ここ大宅地域は,こうした地域の方々を含めての取組として,昔ながらの風習が大切にされている。大層だが,教育基本法の第二条の五「伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに,他国を尊重し,国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」にも合致する。そんな地域に私たちが住んでいることをまずは知らなければならないだろう。また,今日から祇園祭も始まる。1日の切符入から31日の疫神社の夏越祭までの1か月間行われる。日本三大祭の一つである。
 さて,最近,こうした地域での取組が減りつつある。というより,地域行事への参加という点での人々の関心が低くなりつつあるといえるのかもしれない。ところで,現在,ボーダレスの時代だといわれている。このことの意味は,地域や国の垣根が低くなることであるが,一方,自分の生まれ育った地域,国を意識することは,自分の在り方というか,考え方の拠り所となる基盤ともいえ,ボーダレスになればなるほど,大切な点であると思う。ボーダレスとは,言い換えれば,いつでも,どこにでも簡単に行けるようになったということで,その広がりは,それだけ多くの人々とも接する機会が広がるゆえに,自分自身の在り方もしっかりとした揺るがぬものを持たなければならないということになる。その一つがこうした身近な文化だと思う。
 私の若いころと比べると,現代の若者たちは,ツールとしての英語の使用ははるかに上昇しているが,ボーダレスとなった現在,海外の若者と何をしなければならないかというと,文化の異なる人に,自分と相異なる思いの人に,自分の考えをしっかりと説明し,伝えるということが最も必要なことである。その時,自分の国の文化や習慣,自分の育った環境を知らなければ,その説明もおぼつかないことは明らかである。
 ツールとしての英語を使うことはもちろん,その背景にある,自分を取り巻く世界,その勉強もなくては世界に通用しないのである。今日から今年の半分が始まる,どうか思い新たに半年間に向かって欲しい。