学校日記

集団づくり

公開日
2013/05/23
更新日
2013/05/23

校長室から

 これも「たくほう3号」に書いたのだが,大宅中学校の生徒を見るとき,京都市全体の生徒と比べて,全国の中学生と比べて,という視点が必要だということである。つまり,中学卒業時にその全国の生徒並みになっていなければならないし,その視点で生徒の育成をしなければならないということである。
 中高接続などという言葉がある。中学校を卒業した生徒すべてが高等学校へ行くわけではない。99%の進学率といったところで,1%の生徒はそこには入らないのである。とどのつまり,中学校の視点として,小中一貫の9年間の義務教育が終わるということを忘れてはならない。つまり,義務教育卒業時にふさわしい力が付けられたかということを問わなければならない。積み残しは高等学校でというわけにいかないのである。このことを新採時の学校長から言われたことを今も思い出す。
 義務教育について,良く間違えられていることがある。義務教育の「義務」とは,子どもは学校に行く義務があるという言い方である。子どもにあるのは,「教育を受ける権利」であり,ちょっと行政的な言い方になるが,子どもは,学校に行っている,行っていないに関わらず,教育を受ける機会を与える義務があるということだ。そこを学校に行く義務があると捉えると,保護者は「学校に行くことが当然」,学校側からすれば「学校に来ることが当然」ということになってしまう。そして,「学校に行かなあかん」,「学校に来なあかん」という言葉が飛び交うのがその点だと思う。
 さて,その義務は差し置いて,「来なあかん」という思いを私たちはどのように考えているだろうか。つまり,学校が来るに足るものかという視点で考えなければならない。その最大の条件は,学校自体が明るく,楽しい場所かどうかということだと思う。子どもも教職員も楽しくなければならない。それが学校へ足を向かわせる条件だと思う。そのためには,とりわけ教職員が仲良くなければならない。笑顔あふれる集団でなければならない。それは子どもも感じるところである。昔,子どもから,先生と○○先生は仲悪いんかと言われたことがある。子どもにはそんな風に映ったんだろう。子どもは正直で,敏感なのである。とにかく子どもが学校へ来たくなるような教職員の集団づくりが必要である。そこをもう一つ掘り下げると,学年集団づくりであり,学級集団づくりなのである。そして,自分の居場所のある学級か否かが問われるのである。
 学力をつける,規範意識を育むといっても子ども自体が学校に楽しく来れなければそのようなことはできない。それは家庭や地域でも同じことである。