育てる木
- 公開日
- 2009/11/24
- 更新日
- 2009/11/24
校長室から
本校は,与謝野鉄幹(本名は与謝野寛)の生まれた地である。『与謝野寛短歌全集』(昭和8年2月)に次のような記述がある。
「明治6年2月26日 京都市外岡崎村の西本願寺支院,願成寺に生る。寺は岡崎神社の前に在り。……(中略)……父母の親友太田垣連月尼また早くより神光院の茶所に僑居せしが,寛のために名付け親となる。」
とある。岡崎村とは,現在の左京区岡崎である。そして,「寛」は連月尼が付けたことがわかる。連月尼は,小沢蘆庵や香川景樹のあとを受け継いだ幕末の歌人である。号の鉄幹は梅の意味で,和歌は,父である与謝野礼厳に習ったが,8,9歳の頃からである。しかし,和歌を習う前の7歳のとき,与謝野一家は,負債のために本校の地となった願成寺を処分している。「君死にたまふことなかれ……」で有名な与謝野晶子は,この寛の妻で,永観堂や蹴上の浄水場内などには,寛や晶子の歌碑も存在する。寛は,上京後,落合直文に師事し,明治33年新詩社を創設,「明星」を発刊,慶応大学教授などを歴任したが,昭和10年,63歳で亡くなっている。
先に挙げた小沢蘆庵や香川景樹もここ岡崎に住んだ歌人であり,『雨月物語』で有名な上田秋成の墓も南禅寺を入った西福寺にある。岡崎は,多くの文人等と関連のある地である。学校のこの敷地内で生まれた与謝野鉄幹を偲びながら学校生活を送れることは大変な幸せである。多くの学校がある中,このような学校はなかなかないだろう。しかも,校門の楠木は,野田宇太郎著の『関西文学散歩』(1957年刊)によると,願成寺の名残であると言われ,まさに当時を偲ぶことのできるものが残っていることも嬉しい。そして,この木は,京都市立学校・幼稚園の「名木百選」に選ばれ,今では,「自由・自律・友愛」を育てる木となっている。