折れ反れ
- 公開日
- 2009/11/13
- 更新日
- 2009/11/13
校長室から
以前,ある旧家のお宅に伺ったとき,娘さんが出てこられて,取り次いでくださった。あとで,娘さんのお母さんが,「折れ反れもできませんで……」と言われた。折れるで頭を下げ,反るで頭を上げるということを表す。この二つの動作で,挨拶を表しているのである。これは,京都独特の言い回しで,「挨拶もできませんで……」と直接表現を避けた,いわゆる婉曲表現である。挨拶が本当にできないという意味ではなく,謙遜した言い方なのである。なぜ,このような婉曲表現にするかというと,この言い方だと,娘を育てた親が悪いのではなく,娘自身を,直接非難しているわけでもなく,どこか得体のしれないもののせいにしているのである。
「京の茶漬け」とい言葉も聞いたことがあるだろう。落語にもあるのだが,客が帰る間際になって,当家の主人が「お茶漬けでもどうどす」と言うのである。当家では本当にお茶漬けを用意しているわけでもなく,客の方も,それを断らなければならない,という京ならではのルールを破り,その申し出を受け入れ,当家の者があたふたとする話で,口先ばかりの京都人をひねくった落語である。
これなども,よくよく考えてみると,自分がそのようにご飯をよばれるにふさわしい仲であるかどうかということ,つまり,その人との仲を鑑みることと,お互い貸し借りをつくらない,近代的個人主義的な考え方をもっているのが,京都人であるという見方もできよう。
今では,こうした京言葉の深い意味合いも失われてきている。でも,教室での授業前後の「折れ反れ」ができないのは,しっかりと指導してもらわなければ困る。
ところで,京言葉といっても,京都方言とは言わない。これは,今だに京都が都であるからだという意味である。中心であるという自負が刻まれた言葉だからである。