創立までの様子
- 公開日
- 2010/04/01
- 更新日
- 2010/04/01
創立までの様子
御室小学校創立以前
御室小学校が創立されるまでの子ども達は,寺子屋で勉強しており,場所は,今の蓮 花寺の東側と妙心寺南門前にあったといわれています。
御室小学校創立以後
明治5年(1872年)全国に義務制の小学校をつくることになり,谷口・木辻・池 上・法金剛院・御室・福王子・鳴滝・山越の八カ村が協定し,御室竪町に開校式をあ げこれが御室小学校の始まりとなりました。
明治43年(1910年)3月,尋常科の上に2年間の高等科がつくられ,御室尋常 高等小学校という校名にかわりました。服装は,男子が和服(筒袖)で,三尺帯に前 だれ下駄ばきかぞうりで,冬の雪の日でも,素足にわらぞうり,または下駄ばきでし た。教室には,火鉢やストーブ類はありませんでした。
大正のころ
大正の初めごろから,年々学校へ行く子ども達の数が増え,校舎を増築したり,運動 場を広げたりしていきましたが,大正15年の京福電鉄(嵐電)北野線の開通にとも なって,児童数もさらに増えていきました。
昭和になって
昭和6年(1931年)右京区となり,それから花園村でなくなりました。
昭和10年(1935年)代に入ると,嵐電沿線は,住宅地として年々ひろがってい き,児童数も1800名をこえ,区内では太秦校についで多くなりました。
昭和16年(1941年)4月,御室国民学校と校名がかわりました。
昭和22年(1947年)4月,戦後の教育改革により,6・3制となり,小学校6 年間・中学校3年間,あわせて9年間を義務教育とすることになりました。京都市立 御室小学校となり,児童数は2000名をこえました。
昭和31年(1956年)4月に花園分校ができ,10月に花園小学校として独立開校 することになりました。
花園校の開校で,御室校の児童数は,いったんは減りましたが,昭和35年以後,都 市周辺部への住宅の建設が多くなり,人口も急に増加し児童数も再び増え始めたため 宇多野分校建設へと進んでいきました。
昭和47年(1973年)宇多野分校として,3・4年生の299名が入校し開校し ました。
昭和48年(1974年)京都市立宇多野小学校として独立開校することになりまし た。