創立までの様子
- 公開日
- 2009/03/18
- 更新日
- 2009/03/18
創立までの様子
御室小学校創立以前
御室小学校が創立されるまでの子ども達は,寺子屋で勉強しており,場所は,今の蓮花寺の東側と妙心寺南門前にあったといわれています。
御室小学校創立以後
明治5年(1872年)全国に義務制の小学校をつくることになり,谷口・木辻・池上・法金剛院・御室・福王子・鳴滝・山越の八カ村が協定し,御室竪町に開校式をあげ,これが御室小学校の始まりとなりました。
明治43年(1910年)3月,尋常科の上に2年間の高等科がつくられ,御室尋常高等小学校という校名にかわりました。服装は,男子が和服(筒袖)で,三尺帯に前だれ下駄ばきかぞうりで,冬の雪の日でも,素足にわらぞうり,または下駄ばきでした。教室には,火鉢やストーブ類はありませんでした。
大正のころ
大正の初めごろから,年々学校へ行く子ども達の数が増え,校舎を増築したり,運動場を広げたりしていきましたが,大正15年の京福電鉄(嵐電)北野線の開通にともなって,児童数もさらに増えていきました。
昭和になって
昭和6年(1931年)右京区となり,それから花園村でなくなりました。
昭和10年(1935年)代に入ると,嵐電沿線は,住宅地として年々ひろがっていき,児童数も1800名をこえ,区内では太秦校についで多くなりました。
昭和16年(1941年)4月,御室国民学校と校名がかわりました。
昭和22年(1947年)4月,戦後の教育改革により,6・3制となり,小学校6年間・中学校3年間,あわせて9年間を義務教育とすることになりました。京都市立御室小学校となり,児童数は2000名をこえました。
昭和31年(1956年)4月に花園分校ができ,10月に花園小学校として独立開校することになりました。
花園校の開校で,御室校の児童数は,いったんは減りましたが,昭和35年以後,都市周辺部への住宅の建設が多くなり,人口も急に増加し児童数も再び増え始めたため,宇多野分校建設へと進んでいきました。
昭和47年(1973年)宇多野分校として,3・4年生の299名が入校し開校しました。
昭和48年(1974年)京都市立宇多野小学校として独立開校することになりました。