最新更新日:2024/11/02 | |
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離任式(平成25年度)
穏やかな天候の元、桜も美しく咲く中、在校生、卒業生、保護者の皆様の参加をいただき離任式を行いました。それぞれに個性あるスピーチで思い出を語られました。それぞれの先生方に生徒や卒業生が式後に寄ってきて語らっている姿をいいものだと眺めていました。3月28日の京都新聞の「声」の欄に「孫の中学卒業式に感涙」という記事を読んで、こんな学校もあるんだなと思っていたら、昨日PTAの方より「私の母が書いたものなのです。」と聞いて、びっくりし、非常にうれしく思ったことです。
離任の先生方を簡単に紹介します。 奧田 彩先生 音楽の先生として4年間お世話になりました。生徒会の指導、生徒の給食等などでもお世話になりました。吹奏楽部の指導においては学校の行事だけでなく、地域行事にも積極的に参加し、好評を得ました。またコンクールでは金銀の賞を何回も獲得され、いい伝統を作ってもらいました。小学校の指導にも行っていただき、中学校で一番長い、生徒との付き合いになっていました。先生として、いいお姉さんとして寄り添って指導いただきました。ありがとうございました。 宅間 光晴先生 理科の先生として6年間お世話になりました。実験を多く取り入れた授業や本物を見せての授業など私は先生の授業が好きでした。理科の楽しさを伝えていただきました。 また生徒会の指導チーフとして力を発揮し、様々なが行事に生徒の力を使った学校を展開してもらいました。また卓球部の顧問として指導だけでなく、生徒の悩みにものっていただきました。ありがとうございました。 平尾 智子先生 英語の先生として7年間お世話になりました。音楽を取り入れた英語の授業は楽しくも英語力を付けていただきました。職員室前で英語の暗唱している生徒の姿をよく見かけました。またバスケットボール部の顧問として厳しくもバスケットのあり方について丁寧に指導いただきました。昨年は手術をされながらも、学年主任、さらに進路指導主事として学校教育のために尽力され、ご活躍されました。ありがとうございました。 松永 光司先生 数学の先生として3年間お世話になりました。視聴覚、放送、特活主任、今年は生徒会といろいろな部署でご活躍いただきました。部活動では野球部の顧問としてお世話になりました。昨年夏の宇治の塔の島での福島県の生徒とのジョイントの取組で暑いさなか生徒と活動されたり何事にも真摯に取り組まれ、職責を全うしようとする姿勢がとても印象に強い先生でした。ありがとうございました。 漁野 亨先生 数学の先生として4年間お世話になりました。数学という学問に造詣が深く、夏休みなど他府県まで研修に行かれるほど熱心な方でした。ベテランになっても研修していく姿勢の大切さを示しておられました。庶務主任、園芸部顧問としてもお世話になりました。桃陵中学校を皮切りに、九条中学校、小栗栖中学校、陶化中学校、神川中学校そして醍醐中学校と勤務され、この度ご退職になります。ご苦労様と共にありがとうございました。 金井 千恵先生 国語の先生として1年間お世話になりました。いつもにこやかな表情で対応され、礼儀正しい印象でした。丁寧な指導でした。醍醐中学校で自身の教師として基礎を学ばれ、郷里の群馬県で教鞭をおられることになっています。1年間の感謝を遠くからではありますがお伝えします。ありがとうございました。 平成25年度離任される先生方紹介
お世話になった退職、離任の先生方の連絡を致します。また離任式は下記の通りになっています。転勤先については3月31日の離任式のときに口頭で伝えます。また4月1日の朝刊で発表されますので、そちらでご確認下さい。
醍醐中学校・平成25年度転任・退職者のお知らせ一覧 今年度、下記の先生方が退職・転任されますのでお知らせします。 ○数学科 漁野 亨 先生(ご退職) ○数学科 松永 光司 先生 ○理 科 宅間 光晴 先生 ○英語科 平尾 智子 先生 ○音楽科 奧田 彩 先生 ○国語科 金井 千恵 先生 以上です。 本日午前に辞令を校長室にて恭しく、お渡ししました。ご苦労様でしたと共にありがとうございました。次のステージのご活躍を願っております。 上記の先生方は醍醐中学校の先生として、子どもたちを支えていただき、笑顔のために尽くしてもらいました。授業だけでなく、部活動や、おそらく私の知らないところでたくさんの汗を流されたことと思います。自分のポジションに関係なく、できることをできる者がする。「こうなったらもっとよくなるなと思うことはどしどしやって下さい。」とお願いしていることをやっていただきました。新しい学校でもその精神でご活躍されることを願っています。ありがとうございました。 尚、離任式は、3月31日(月)体育館にて 9時30分 生徒集合 (体育館に旧クラスで整列して下さい。) 9時40分 離任式開始ですので遅れないように登校して下さい。 ※掲示の所には載せましたが全市一斉にHP作成ソフトの使用のため繋がらず、こちらは今になりました 平成25年度を締めくくる20日に修了式を行った。1,2年生は前の学年からの卒業式のようなものである。「人の話は目と心で聞く」というのが伝わっているような式になった。それぞれに進級し、新たな新入生を迎える。「一所懸命」と朝のニュースでやっていた東京オリンピック招致に努力したパラリンピックの佐藤選手が「限界の蓋」という話をしていたので、それを使って話をした。 同じ日に小学校の卒業式があったので芸能人のように、小学校へ急いだ。あいにくの雨模様であったが、卒業生の涙がいい式であり、いい6年間であったことを物語っていた。 21日は堀川音楽高校で教員音楽発表会が行われ、プロのような技を披露した。昨年の倍以上の観客があったので、いろいろなところで宣伝しのが効果があったか。「『醍醐中学校のHPにも13:30から無料!』と書いたのですが、それを見て来られた方」と聞くと、誰もいなかった。残念。音楽を愛する者として「音楽の力」とは何だろうとよく考えます。それぞれに考えの違った人間を一時でも、一つに結びつける力、そしてそこに「感動」が生まれる。その感動が人を「幸せ」にしていくのではないでしょうかね。その意味で今日の演奏会はそれを叶えていましたね。と言うと大きな拍手をいただいた。「来年は私の退職を祝っての教員音楽発表会をしてくれるでしょう。ぜひ来年も来て下さい。」と私物化して、締めくくった。 22日は醍醐保育園の卒園式だった。79回目を迎えるらしい。その時、ゼロ歳児保育を受けた方が79才ということである。園児が卒園証書を高々と持ち上げて、頭を下げる。園の先生方は終始、立ったまま式が流れていく。来賓紹介で、それぞれが紹介され、「おめでとうございまず。」と言うと、拍子を取って合わせて「ありがとうございます。」と応える。「6年経ったら、中学校にお出で!」と足した。在籍の園児が歌う中、卒園児が退場していく、いい演出だなと思った。私自身は保育園も幼稚園の経験もないが、彼らには強烈な思い出として残っていくのだろう。退席するときに昔の教え子が挨拶に来た。人の縁の不思議さを思う。 ※最近、アクセス数が増えてうれしく思っているが、10万アクセスを退職までに思っているが、早期退職になるような勢いである。おそらく離任の先生が気になってのことかと思いますが、離任の先生方の紹介は26日の午後から校門前の掲示板とHPになります。 いい汗 いい思い出
卒業式が終わり、1,2年生も明日の「修了式」を残すところまできた。今日はそれぞれの学年で球技大会が行われている。男子はサッカー、女子は変則バレーボール、(後で見に行くと、女子もサッカーをやっていた。男子はバスケットボール)明日は雨になるそうであるが、今日は柔らかい日差しの優しい天候に恵まれている。
一人一人考えの違う人間が同じところに集うのであるから、何らかの摩擦が起きない方が不思議であるのだが、そこは人間が歴史の中で学んできた英知と教育である。上手に楽しんでいるように思える。戦国時代は歴史的には面白いのであるが、国盗り合戦は、簡単な言葉で言えば強盗ではないのか。ローマ時代も、それぞれの国、時代で繰り広げられてきたのであるが、その意味では人間は歴史に学ばないところがある。強いものが弱い者を守り、富める者が貧しい者に手を差し伸べる。人間の我欲が邪魔をしているようである。世界を見て、子供や老人、全ての人が笑顔溢れる方法はないものかと思う。目の前で懸命に動き回っている子供たちの汗、笑顔を見てそう思った。 音楽と祈り15日(土)は端山保育園の卒園式で、今年は小学校の校長先生も参列され、来賓挨拶を振った。さすが小学校の先生、スピーチの最後に「お祝いのスペシューム光線を送ります。」とパフォーマンス、卒園児も参加した園児も大喜びだった。「届いた人?」と問いかけると一人の子だけが手を挙げる。すかさず「家に帰ったら、郵便ポストに届いているかも」 式の結びに「さよなら僕達の保育園」という歌を歌うと、意味を理解しているのだろう、園児が号泣である。最後にお父さん、お母さんに手紙を読んで、引き取ってもらう。涙、涙! 「パパ、ママ」「お父さん、お母さん」が多いのであるが、「父ちゃん、母ちゃん」には思わず目を見開いた。私は「父上、母上」と呼ばせたかったが、猛反対にあって見送った。 午後から堀川音楽高校で「京都市少年合唱団」の修了式が行われ、来賓として参加しなくてはならなかったので保育園を中座した。2時間を超える卒園式、子供たちにあっぱれ!京都市少年合唱団であるが女子生徒が多い。少年は年少のことで男女を指すもののようである。小学校4年生から中学校3年生まで、その3年生の修了式と言うことになる。最後に洗練されたクラシックの別れの歌を聴かせてもらった。曲名は忘れたが、ホウとうならせた。 16日(日)はイーストフェスティバルという、これも東山、山科、醍醐の中学校の吹奏楽部が集まって行う発表会が東部文化センターであった。醍醐中の演奏の時間に合わせて見に行った。演奏あり、踊りありで、楽しい時間を演出して、喝采をあびていた。音楽に溢れた日々であった。写真はその時の様子である。 今度の21日(金 春分の日)は堀川音楽高校で13:30より教職員音楽発表会が行われる。行事予定にも小さく書きましたが、入場無料ですので、時間があれば、生徒も保護者の方も歓迎ですので聴きに来て下さい。中学校の先生方が「へ〜っ」と思うようにドレスアップして演奏します。必見です。配布文書コーナーにプログラム そして次の22日(土)が醍醐保育園の卒園式で歌を聴く。当分の間、音楽にどっぷりつかることになる。それを幸せと思わないといけない。と自分に言い聞かせている。 第66回 卒業式
朝いつもより早めの出勤をした。学校に着くと掃き掃除をしている先生の姿を見た。これはいい式になると確信した。途端にお日様がウィンクした。
物事には始めるときと、締めくくるときがある。その「とき」ということをセレモニーとして大切に人はしてきた。入学式があり、始業式があり、終業式があり、そして卒業式がある。区切りをつけることは、心の整理をすることなのだろう。笑ったことも、涙したことも、とりあえずこれでお仕舞い。そして次へと進んでいく。 87名の卒業生が巣立っていった。みんなが「醍醐中学校に来て良かった!」と思って卒業してくれただろうか。「みんなが」でないといけない。 私は「君が生まれたのには意味がある。」と言い続けてきた。私が生まれてきた意味の一つに、君たちと会うことがあった。きっと神様が会わせて下さった。そのことに値することをしてやれただろうかと思う。 毎年、いろいろな出会いがあり、別れがある。いつも手抜きせずに、今できる最大限のことをしているつもりではいる。 辛いときが来ても、決してひとりぽっちではない。世の中って結構いいものだよ。式辞でも言ったけれど、いいように考えると、プラス思考には不思議なくらいにプラスのことが起こってくるものだよ。 これからの君たちの新たな出会いがいいものであるよう祈っている。そして、いいお父さん、お母さんになって、子供たちに「お前が生まれたのには意味があるんだよ。」と語って下さい。君たちや、君たちのお父さん、お母さんに会えたことに感謝! 今日の日はおめでとう!!! 卒業式を前にして
式の準備が整い、誰もいない体育館に行ってみた。ひっそりした空気の中に「凜」とした雰囲気がよかった。卒業生のPTA新聞に寄せたコメントを見ていて、目頭が熱くなるものもあった。今日は別れを惜しむように雨が降っている。明日はきっと止んで天も素敵な日にしてくれるだろう。
3年生を送る会全校生徒が一斉に集うのはこれが最後になる。いい出会いがあるように、いい分かれもある。どちらかというと「いい別れ」が大切なのかもしれない。 それに応えて1年生も2年生も魂のこもった、愛ある歌声や気持ちを伝えてくれた。それを受けて3年生は、さすがと思える返しをしてくれた。1年生時に担任をしていただいて今はタイの日本人学校の先生をされている駒井教雄先生からもサプライズとしてビデオレターが届いていた。 何より先生方を困らせたあの子やこの子の姿が会場にあったのをうれしく思った。生徒会の本部役員の活躍ぶりはたいしたものであった。ご苦労様! 出会いと別れを一つの思い出として、その思い出を重ねて人は成長していく。すばらしい取組をしてくれた子供たちと、それを指導していただいた先生方に心から感謝している。すばらしき醍醐中学校に乾杯! 東日本大震災3年目を迎えて(2)
■二人目は志葉玲というフリージャーナリストの方でイラク戦争であるとか紛争地をレポートし、福島原発にも当初から関わっておられる方です。この方の話を最近聞きました。(2月に大谷大学で行われた市集会<人権>での講演である。)
いろいろな課題があるけれど、その中で、放射線がきつくて子供の安全を思うと福島を離れざるを得ないが、そうなると「福島を捨てるのか!」という厳しい声が聞こえてくる。その狭間で苦しんでおられる方々がおられる。悩ましい問題である。(決して離れた方が他の地域で幸せに過ごしているわけではない。慣れない地域での葛藤もあるし、目に見える、見えない形の差別も無いわけではない。) また学校では窓を通して放射線に汚染されたチリやゴミが入ってくるので夏でも窓を閉めなくてはならない。そうすると東北と言えども夏は暑い。だがクーラーは付いていない。 小さな子どものいる市会議員さん(女性)が学校へのクーラー設置のために訴えるが、なかなか通らない。「我慢させよ」という言葉もでる。我慢すると言うことは非常に大切なことではあるが、限度がある。復興には支援金が必要になってくるが、なかなか予算が付かない。付いたと思えば、違うところに使われる。僕達は目を見開いて社会を見ていく必要がある。先日、1年生が「ソフィアがやってきた」という出前授業を受けたが、人は一日に1200mlのオシッコをするそうだ。このような体育館で非難されるいるところには10個程度の簡易トイレがあって、4日ほどで満タンになり、その処理もある。子供にポテトティップのおやつを渡すとみんなと平等に分けられないので、いらないと言う。 同じ日本でこのような生活を強いられている人がいることを忘れてはならない。 そのように結んだ。今はテレビ、新聞などで大きく取り上げられているが、それもすぐに落ち着いていくだろう。時々でも思いを馳せることはとても大切な支援の基礎となる。 ※「志葉玲」 http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%BF%97%E8... http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/201403... ※写真 出典は「ヤフージャパン」のHPより 志葉玲さん公開の写真より ※外国で日本に向けて祈りが捧げられたと聞くと、グッとくるものがある。 このように世界が平和のために力を結集できる社会であってほしいと願う。 東日本大震災3年目を迎えて(1)
昨年から、この日に全校集会をするようになった。朝登校してきたらすぐに体育館に集まってもらい、1限目の授業が始まる前に10分だけ話をする。覚えているだけを書くと次のような話をした。
■今日は東日本大震災から3年目を迎えます。正確に言うと今日の午後2時46分になる。昨年の統計で見ると亡くなった方が15,882名、未だに死体も見つかっていない方が2,668名になる。その方々の魂が安らかであるように、心からの祈りを捧げたいと思う。「黙祷!」 「止め」きっと喜んで頂けたと思う。 今日は二人の話をします。先生は中学校音楽研究会の会長をしているので、いろんなところで話をしたり、聞いたりすることがあります。昨年の6月に神戸市で全国の音楽の研究会がありました。そのとき臼井真という方の話を聞きました。 「奧田先生、ピアノを弾いて下さい。」♪♪ この音楽はこの方が作詞作曲されたもので、小学校の先生をされています。彼自身が阪神淡路大震災で被災されていますが、東北の方々への復興を願って作られました。(本当は阪神淡路大震災の時にできた歌のようです。)会場で小学生、中学生、高校生より、この歌「しあわせ運べるように」を美しい歌声で聴かせてもらって、会場が総立ちになってみんなで歌い、涙が止まらなかったことを覚えている。復興に大切なものは「夢と希望」です。それを後押しするものが「音楽の力」だと思う。生徒会のみんなが集会の度に校歌を歌うようにしてくれたが、この歌も一緒に歌うような取組になればうれしいですね。 ※「しあわせ運べるように」 http://www.shiawasehakoberuyouni.jp/ http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%97%E3... ※写真は 出典「ヤフージャパン」のHPより |
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